ラ・ノナ・オラ
28.11.2017
La Nona Ora est une œuvre sculpturale conçue en 1999 par l'artiste italien Maurizio Cattelan et exécutée sous sa direction par Daniel Druet et Odile Hautemulle.
網膜に永遠に残るイメージ。それは本来の文脈から逸脱して集団的記憶に刻まれるように思えます。芸術の世界には、理解し難い、あるいは人々を不快にさせ、スキャンダルを引き起こした作品があり、何世紀にもわたって特別視されてきました。その中でも、セクシュアリティと並び、宗教はおそらくもっとも論争を呼ぶテーマといえます。最近のニュースはイスラム教ばかりに注目しがちですが、キリスト教の歴史もまたスキャンダルに彩られています。たとえば、パオロ・ヴェロネーゼの異端審問や、カラヴァッジョの絵をめぐって行われた厳しい尋問。1960年代、ジャック・リヴェットの『修道女』やピエル・パオロ・パゾリーニの短編映画『意志薄弱な男』、さらにアヴィニヨンにあるランベール・コレクションで展示された際に破壊された写真家アンドレス・セラーノの『ピス・クライスト』が喚起した強い感情。これらすべてが、それを証明しています。
『ラ・ノナ・オラ』もまた、こうした作品のひとつでしょう。現代美術界の異端児、マウリツィオ・カテランによって1999年に制作されたこのインスタレーションでは、本物そっくりに作られたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の等身大の蝋人形が、隕石に跳ね飛ばされています。白い祭服に身を包み、巨大な赤いカーペットの上に倒れた彼の顔は苦痛に歪み、手には教皇十字が握られています。周りにはガラスが飛び散り、起きたばかりの出来事の暴力性を表しています。作品のタイトルは、人類の罪の重さに押しつぶされ、疑問を抱きながら十字架の上で死ぬキリストを描いた、聖書の一節から引用されています。「そして9時間が経とうとするころ、イエスは叫ばれた。『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ?』。わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」(マタイ27章46節)。
『ラ・ノナ・オラ』の意図するものは、一体なんなのでしょう。隕石は、かつてイエスを死に至らしめた罪の重さを体現し、彼もまた人間であるということを示すために、今や法王に襲いかかろうというのでしょうか?カテランはこの作品について語った際、次のように仄めかしています。「私は彼を挫折した男ではなく、むしろ苦悩しているひとりの人間として見ています。すべての人類のために、その肩に罪を背負っているのです」。あるいは、そこにはなにか別の意味が潜んでいるのかもしれません。作者はこの奇妙な出来事を通じて教皇の権威が地に落ちる様子を見せ、皮肉っているのでしょうか。おそらくその両方なのでしょう。
そして、それこそが『ラ・ノナ・オラ』の持つ力です。作品の主題は、神聖と世俗、権力と脆弱さの間にある緊張関係を劇的に演出し、現代社会にあるいくつかのタブーを暴くことです。この作品は広く知れ渡り、制作からわずか2年後の2001年、当時としては記録的な価格で、コレクターのフランソワ・ピノーに購入されました。『ラ・ノナ・オラ』が出展される展示会は常に騒ぎを巻き起こし、短期間に多くの評論家たちがそれを書き立てる…。こうしたすべてが要因となり、この作品は今なお論争の的となっています。『ラ・ノナ・オラ』は、社会におけるアーティストの役割を問い、自由が神聖視されるこの世界で、不敬と罪の限界について、根本から疑問を呈しています。この衝撃的な作品は、ルネ・シャールの言葉を思い出させます。「この世に現れながら、なんの混乱も引き起こさないものは、尊敬にも忍耐にも値しない」。