スター

16.01.2018
stars

人類史上、セレブリティはいつの時代にも存在しましたが、“スター”という概念は比較的最近生まれたものです。アレクサンドロス大王やユリウス・カエサルは、その偉業で名を馳せました。しかし、歴史家ダニエル・J・ブーアスティンが指摘しているように、現代の“スター”は「よく知られているがゆえに有名人」なのです。

かつてセレブリティと言えば特権階級、皇帝や国王、ファラオを指しましたが、その定義は次第に芸術家たちにまで広がりました。今や“生まれ持ったもの”ではなく“成し得たもの”によって有名になれる時代。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは裕福なパトロンに宛てた書簡に、皮肉を込めてこう書いています。「皇太子さま、今のあなたが在るのは、たまたま皇族に生まれたからです。ですが、私は自分自身の力でここまで来ました。世には多くの皇太子がおり、これからも何千人もの皇太子が生まれてくることでしょうが、ベートーヴェンは私たったひとりです」

20世紀になると、マスメディアの発達、そして写真の発明によって、セレブリティは飛躍的に人気を博し、大衆の好奇心もまた飽くことがありませんでした。社会学者ナタリー・エニックが証明したように、広く世間に知られるための鍵は、目に見えること。つまり、スターであるためにもっとも決定的な要素は“見られること”であるといえます。

おもしろい仮説があります。それは、米国における”スター”という現象は、多くの人々が地方から都市部へ移り住んだことの帰結であるというものです。何世代にも渡り、人々はだれもが顔見知りである小さなコミュニティで暮らしてきました。しかし、経済の停滞により都市部へと向かい、大きな生活の変化に直面すると同時に、周りは知らない他人ばかり。このショックから、打ち寄せる人の波の中からわずかに見知った顔 – スター – を探したいという願望(あるいは必要)が生じました。

マリリン・モンローの色気あるほくろとカールしたプラチナブロンド。ヴェロニカ・レイクの目にかかる印象的な前髪。リタ・ヘイワースの燃えるような赤毛…。ハリウッドは映画だけではなく、ファッションやスタイルも創り上げました。こうした往年の女優たちが、他者とは違う特別な存在であるからこそスターであったとすれば、今日のスターたちは逆に、真似ることができるロールモデルであるように見えます。スターたちの私生活は大衆によって、まるでそれが自分自身の存在を映す鏡であるかのように、徹底的に調べ上げられます。その容姿は際限なく模倣され、行動や振る舞いは監視され、批評され、分析されるのです。

スター自身がだれよりもそれを知っています。歌手のビヨンセは、自身のコンサートで、巨大なスクリーンに家族写真を公開しました。カーダシアン一家はリアリティ番組で私生活を晒し、あのオバマ元大統領ですら、公の場で妻への愛を語る…。現代のセレブリティは自分自身を利用します。それは決まって俗悪あるいはのぞき見主義だと非難されるのですが、たとえそうであっても、ますます混沌とするこの世界で、人間の好奇心やアイドルの必要性を示しているに過ぎません。“スーパースター”という言葉の生みの親であるアンディ・ウォーホルは「だれでも15分間は有名人になれるだろう」と語りましたが、私たちはいつか平穏を得られるのでしょうか。