植物学の系譜
26.08.2016植物学には人類と同じくらい歴史があります。私たち人間は、いつの時代も植物を育み、大切にしてきたのです。古代、中世、ルネサンス期を通じて植物に関する書物は存在してきましたが、科学の一分野として著されるようになったのは、18世紀になってからのことでした。
植物の祖先であるシアノバクテリア(ラン藻類)の誕生は、38億年前。現在の定義に基づく植物が初めて地球上に現れたのが4億7500万年前、花が登場したのが1億3500万年前です。霊長類は6000万年前、類人猿は700万年前、ホモサピエンス、私たち人類が誕生したのは、わずか約20万年前のことにすぎません。
ホモサピエンスとは、ラテン語の二命名法による名称であり、ヒト属(Homo)に知恵を持った有機生物であることを示す形容詞、サピエンス(Sapiens)を組み合わせてできた言葉です。このように属名と種小名を結合して命名する二命名法(分類および命名方法)はカール・フォン・リンネ(1707-1778)によって確立され、現在も使われています。この命名法を考案し、実用化したリンネは植物学者だったのですが、学名の後ろに命名者と年号を付け加えた表記として、生物学の分野全般で広く用いられています。
近代植物学の父であるヨアヒム・ユンギウス(1587-1657)、ジョン・レイ(1627-1705)、そしてリンネ。3人は「自然史」と呼ばれる科学の一分野の礎を築くことに貢献し、その功績は、偉大な学者たちが立ち並ぶ森を覆い隠しまうような存在感を放っています。もし、こうした知識の蓄積のすべて、あるいはその一部が、後に近代科学の進化(19世紀のダーウィン革命、生物学、生命科学など)によって否定されてしまったとしても…方法、体系、考慮されるべき分野と除外すべき分野の区別、それらを的確に表現し系統化する名称など、その財産は非常に重要な土台となって、ルネサンス期以降に始まった新しい時代、そして今に引き継がれています。リンネたちの研究は、進化論をはじめ多くの矛盾をはらみながらも発展を続け、そこから生まれた用語もほぼそのまま使われています。
当時、生命あるいは生物という観念は存在しませんでした。ただ生きものという存在があるだけで、名称はただの名前として認識されていました。植物や動物に与えられた名前はあるがままに名付けられたもので、即物的なものばかりではなく、それが持つ薬効や神秘的な力を表している場合もありました。また、栽培方法(あるいは狩猟方法)のほか、それをモチーフにした紋章や神話、伝説にまつわるものもあり、事実からフィクションまでさまざまでした。
この頃、学者たちは分類学と呼ばれる学問にとりかかっていたのですが、それはリンネによって完成されます。分類学とは生物の分類を目的とした科学の一分野で、種の記述や研究の体系化に用いられます。リンネが確立した厳格かつ精密な命名のシステムは、味や匂い、食感といった曖昧なものではなく、目視できる計測可能なものを分類化するものでした。目に見えない生命体は、同一性と類似性を基準に構成されるこの系統学的チャートには当然現れません。リンネは、この二名式命名システムを使って、異なる8千種類もの植物を定義しました。
植物の自然史を記録するこの新たな方法は、裸眼で確認できる特徴と記述された情報の関係の合理化に基いており、ミシェル・フーコー(1926-1984)も著作『言葉と物』の『分類すること』という章の中で、植物学の誕生という観点から論じています。分類学は、すぐに学者たちの間で論争の火種となりました。創造論者と呼ばれるナチュラリストであったリンネは、生物は神によって創造され、以後ほとんど変わっていないと考えていましたが、ビュフォンやディドロをはじめとするフランスの哲学者たちは、リンネが用いたシステムとは対照的な認識論的アプローチによる方法論を支持し、種は時を経て変化するという説に賛同していました。リンネの考えは、生物の分類体系を検証したチャールズ・ダーウィン(1809-1882)の進化論とは相容れないものです。ですが、こうしたすべての論争によって、生物の分類、その基準や体系、命名法は確立されたのです。
ルネサンス期後に生まれ花開いた古典的植物学は過去のものです。すでに歴史の遺物といえるものですが、この歴史こそが、科学を形作ってきたものであり、その文脈を語る上で欠かせない植物学言語の原型なのです。