デュヴェルロワ

14.07.2016
Métier d'éventailliste - montage et encollage (organza)

Métier d'éventailliste - montage et encollage (organza)

メゾン・デュヴェルロワはある意味、学校といえるのかもしれません。フランス最古の扇子専門ブランド、また伝統の継承者として、フランス政府より「無形文化財企業(Entreprise du Patrimoine Vivant)」にも認定されています。伝統的な扇子を現代の感覚で蘇らせ、代々受け継がれてきた技法を未来へと伝える役目を担っているのです。

フランスの扇子作りは17世紀に始まり、18世紀に花開きました。1782年、フランスの扇子職人組合には253もの製造業者が加盟していましたが、その後フランス革命、帝政時代、王政復古を経て、1827年に残っていた工房はわずか27。顧客といえば古き良きスタイルを好む年老いた貴族ばかりという有様で、商売としては厳しいものでした。自由の時代の風が強く吹く中、扇子の起こすささやかな風は今にもかき消されようとしていたのです。それにもかかわらず、この年、ジャン=ピエール・デュヴェルロワは扇子ブランドを設立。やがてもっとも名高いメゾンとして認知されるようになります。デュヴェルロワの扇子は国外でも高く評価され、英国のヴィクトリア女王をはじめ、ヨーロッパ各国の宮廷で人気を博しました。さらにはパリ市御用達業者として、ドラクロワやアングルといった著名な画家たちによる絵が施された一点ものの扇子も創作していました。 

20世紀に入ると、デュヴェルロワは皮革製品の技術革新を進め、さまざまな障害を乗り越えていきます。そして2010年、創業当時の芸術性、伝統の職人技をそのままに、メゾン・デュヴェルロワは現代的なブランドとして生まれ変わりました。これらは、ラファエル・ドゥ・パナフューとエロイーズ・ジルのモードに対する情熱によって実現したものです。

メゾン・デュヴェルロワの技術は、ブランド創業者からその息子や孫、そして誠実な職人たちによって脈々と受け継がれてきましたが、1945年、メゾン最後の学徒であり継承者であったマドレーヌ・ボワッセが、戦時のレジスタンス活動に関わり、亡くなってしまいます。しかし、その糸は完全に途切れたわけではありませんでした。1940年にジョルジュ・デュヴェルロワから会社を引き継いだ人物の子息であり現在もオーナーを務めるミシェル・マニャンが、幼い頃にボワッセ夫人と知り合っており、デュヴェルロワの貴重な財産を守り続けていたからです。扇の型紙や骨組み、手引書、工具、折型、設計図、希少な材料、ブランドの歴史を語る調度品…こうしたすべてのものが、グローバル化の波が押し寄せるパリの一画に今も息づいています。そこは、街中に張り巡らされた職人たちと有名メゾンとのコラボレーション網の心臓部であり、伝統的な技術に新たな命が吹き込まれる場所なのです。現在まで続く扇子専門メーカーはわずか3社。デュヴェルロワはその中でも最古のメゾンであるだけでなく、ここ数年はもっとも先進的な存在でもあります。 

メゾン・デュヴェルロワの扇子は、今もフランス最高峰の伝統工法でデザイン、製作されています。オートクチュールともいうべき扇子を作るために、彫刻家や彫版工、刺繍職人、織物仕上げの専門家、ひだ職人…幅広い分野から一流の人材が集められます。そして、すべての扇子は、フレンチアートの最後の巨匠の教え子である扇子職人によって手作業で仕上げられるのです。

創業以来、diptyqueはブティックで美しい手工芸品を扱ってきました。そんな結びつきから、ベル・エポックと呼ばれた華やかな時代、ベトナム・ドソンの入り江に佇んでいた物憂い女性たちへのオマージュとして、diptyque限定のデュヴェルロワの扇子が生まれました。