SATORの謎

28.07.2016
Carré SATOR

Carré SATOR

mementoは、さまざまなアイデアが共鳴して動く、文学の香り漂う小さなマシンのようです。私たちの記事と寄稿者たちの発想が結びつき、たとえば「謎めいた言葉遊び」といった、新たなテーマへと発展していくのです。さて、今回のお題は、ラテン語の回文「SATOR」。

言葉遊びをテーマにした一連の物語は、diptyque創業者のひとり、デスモンド・ノックス=リットがかつて秘密裏に働いていたブレッチリー・パーク(英国の政府暗号学校)から始まりました。そこからアナグラム、踊る文字、さらにマグリットのだまし絵や絵文字にも言及しながら、なぞなぞ、鳥の言語へと続きます。そして、SATOR式。ちょっとした推理が、知的好奇心をかき立ててくれます。

SATOR式とは一体、どういったものなのでしょうか? 正方形の方陣には、アルファベット5文字が、縦横いずれも5つの単語、sator / arepo / tenet / opera / rotasとなるように並んでいます。前から読んでも後から読んでも同じ言葉になる、いわゆる回文(例:bob)の一種で、四方から読めるように構成されています。中央に配された”tenet”だけは上下左右どこから読んでも”tenet”ですが、他の4つは、逆から読むと同じ文字を使った対となる単語が現れます(satorとrotas、arepoとopera)。その中で、”arepo”の意味については、これまでさまざまな推測がなされては否定され、いまだ明確な解答はありません。それゆえ、5つの単語を文章として捉えたとき、決して証明されることのない無限の読み方が可能になり、つねに新たな見解が示される永遠の課題となっています。これまでに、学術的、神学的、神秘主義…この問題を論じる著述は世にあふれ、それはまるで1枚の切手に千年分の季節風が描かれているかのようです。 

SATOR式は中世の頃すでに存在しており、羊皮紙に書かれた聖書の中、あるいはイタリアやフランスの教会内で見つかっています。ですが、特筆すべきは、同様の図式がさまざまな地域で発見され、さらに前の時代から存在したと判明していることです。イングランドのグロスタシャーにあるローマ時代のヴィラにはじまり、ローマ帝国の支配下にあったシリアのドゥラ・エウロポスで発見された紀元2世紀のものや、ブダペストで出土した紀元3世紀のもの。さらに、紀元79年の火山噴火に呑み込まれたポンペイでも、いくつかの場所で発掘されています。この言葉の方陣は、どのようにして、そしてなぜ、これほど多様な地域にまで広がったのでしょうか?ローマ軍と何か関係があったのかもしれません。あるいは交易路を通じて伝わったのでしょうか?キリスト教コミュニティー?ユダヤ人コミュニティー?解釈学(文字や記号を解釈する理論)や碑文学(石碑などに刻まれた文章を研究する学問)をもってしても、この難問には手詰まりなのでは?

かつて、フェリックス・グロッサーという人物が、5つの単語は”pater noster”(我らが父)という2語のアナグラムであることを発見し、世界に新たな解釈を示しました。Nの文字を中心に、これらの文字を十字型に配置し、残ったAとOは十字の先端に並べます。Aはギリシア文字の最初のAlpha、Oは最後の文字Omegaを表し、ヨハネ黙示録における世界の初めと終わりを暗示しているとされました。ですが、この説が、大正解!一件落着!というわけにはいきませんでした。後にポンペイ遺跡からもSATOR式が見つかり、議論が再燃したのです。とくに謎を深めたのは、十字型の外に置かれたAとOの文字でした。当時のポンペイにキリスト教徒はいなかった、というのが多くの歴史学者の見解だからです。しかし、ユダヤ教徒はいました。彼らは、古代ギリシアの数学者・哲学者、ピタゴラスの教えを学び、数秘術を用いた釈義(聖書に隠された意味を読み解く研究)を習得していました。これによれば、それぞれの文字は数字に置き換えることができ、並べられた数字は単語や文と同じように意味を持ちます。それゆえ、SATOR式は神秘学の応用であり、各列の数字の合計が同じになる魔方陣から派生したものだと考えられるでしょう。魔方陣は紀元前から中国やインドで知られていました。ヘブライ語的解釈(変換)によって、SATOR式には聖書の言外の意味が実にうまく隠されているのです。もちろん、やがて錬金術師たちも同様の手法を利用し始めるのですが…。

この正方形のパズルが、何ら形を変えることなく古(いにしえ)のままに今日まで伝えられているのは、決して不思議なことではありません。その理由は、暗号化された言葉を読み解くおもしろさ。隠された意味と同じ数だけ、解釈の仕方があります。そこにある言葉はただの見せかけかもしれないのです…。