PROVOKE

26.04.2018
Anonyme, Contestation autour de la construction de l’aéroport de Narita, c. 1969 / Collection Art Institute of Chicago

Anonyme, Contestation autour de la construction de l’aéroport de Narita, c. 1969 / Collection Art Institute of Chicago

PROVOKE − 思想のための挑発的資料 ダイアン・デュフォーによる寄稿

1968年から69年にかけて発行された写真雑誌『PROVOKE』。当時、ほとんど日の目を見ることはありませんでしたが、今日では写真史に大きな足跡を残したと評価されています。

反主流派の写真家や思想家、詩人たちによるグループは、1960年代の日本の写真界において、その創造性を最大限に発揮し、新聞や書籍、雑誌など、あらゆる媒体に作品が掲載されました。彼らの声明あるいは作品集でもあった『PROVOKE』は、写真表現に新たな役割を与えました。それは、このグループのメンバーの主要作品、中平卓馬「来たるべき言葉のために」、森山大道「アクシデント」、高梨豊「都市へ」などに見られる、社会を揺るがす激しい混乱への答えとでもいうべきもので、日本のパフォーマンスアートを牽引した中西夏之、高松二郎、榎倉康二、寺山修司といった提唱者たちの台頭とも共鳴していました。

全3号発行された『PROVOKE』は、幻滅の時代に登場しました。社会運動のうねりが不毛に終わった60年代末、写真活動家や反体制グループは、都市空間をさまよう個人写真家たちに道を譲りました。

『PROVOKE』のメンバーは、イデオロギーやリアリズムといった束縛から写真を解放し、主観的、断片的、衝撃的な世界を写すべきだと考えていました。『透視』することで『かたちより前にあるなにか』に到達する(多木浩二)…。現実はその複雑さと矛盾ゆえ捉えどころがなく、そのため写真はなにかを写し取る能力を手放し、焦点のズレや混乱の美学を追求しなければならないのです。

こうした理由から、「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる手法が用いられ、彼らの写真はなにが写っているのかわからないほど不鮮明でざらざらしていました。ブレやボケで一枚の写真の持つ力を損ない、並置、コラージュ、反復によって、場面の連続や物語の支配に抵抗したのです。消費が過剰になり、メディアにあふれるイメージが現実と仮想の境界を曖昧にし、芸術そのものが手段と化してしまった社会の文脈において、表現することの難しさ、不条理への敬意、混沌への支持を表明することだけが、唯一可能な意思表示でした。『PROVOKE』はすなわち、答えのない、写真と言語、アート、抵抗のつながりを表していたのです。

「言葉がその物質的基盤、要するにリアリティを失い、宙に舞う他ならぬ今、ぼくたち写真家にできることは、既にある言葉ではとうてい把えることのできない現実の断片を、自らの眼で捕獲してゆくこと、そして言葉に対して、思想に対していくつかの資料を積極的に提出してゆくことでなければならない。PROVOKEが、そしてわれわれが<思想のための挑発的資料>というサブタイトルを多少の恥ずかしさを忍んで付けたのはこのような意味からである」

− 高梨豊、中平卓馬、多木浩二、岡田隆彦 − PROVOKE序文より抜粋