diptyqueにまつわるミステリー

05.11.2015
34 Bd Saint-Germain, Paris

34 Bd Saint-Germain, Paris

その名はどのようにして生まれたのでしょうか。

長年の誠実なものづくりを経て、今では広く知られるようになったdiptyque (ディプティック)。ですが、1961年、それはアートの世界で使われる専門用語に過ぎませんでした。

Diptyque(英語:Diptych)とは、同じ大きさのパネルを蝶番でつないだ二枚折の絵画のこと。それぞれのパネルの内側と外側に絵が描かれていますが、真に意図するテーマは内側に、ひと続きの絵となって描き出されています。本のように閉じられた二枚のパネルを開かなければ、その神聖な宗教的テーマは厳粛に守られたまま…あるいは、そこには淫らなモチーフが隠されているのかもしれません。Diptyqueとは、まさに15〜16世紀に流行したフランドル派の絵画そのものなのです。

では、なぜdiptyqueなのでしょうか?diptyqueの創始者にとって、それは必然でした。ブティックを開こうと、三人の仲間たちが初めて訪れたサン・ジェルマン大通り34番地。外から見ると、エントランスの両側には全く同じ大きさのウインドウ。ひとつは大通りに、もうひとつはポントワーズ通りに面していました。まるで、二枚折の絵 Diptyqueを開いたかのように。象徴的な外観、その聞き慣れない言葉の強烈で無国籍な響きにも惹かれ、三人は心を決めました。

当時、ブティックのすぐ隣には、ポントワーズ通りに面して「Orpheon (オルフェン)」という名のナイトクラブがありました。何年か後そのナイトクラブが閉められたのを機に、diptyqueは店を広げます。シンメトリーではなくなってしまったけれど、ブティックの名はそのままに。

diptyqueは今もほぼ開店当時の姿をとどめています。この場所はブティックになるまで、小さなカフェ、大通りの向かい側にあるポントワーズ・スイミングプールのオフィス、ランジェリーショップだったこともありました。

パリ第5区のこの辺りはとても閑静で人通りも少なく、職人の工房の多い地域でもありました。他所から人が訪れる場所と言えば、1934年に建造され、その美しさで知られるポントワーズ・スイミングプールくらいでしょうか。このプールは歴史的建造物に指定され、今も営業しています。とはいえ、あの伝説的なサン・ジェルマン・デ・プレの喧噪とは無縁でした。サン・ジェルマン・デ・プレはすでにその頃、流行最先端の場所。哲学者ジャン・ポール・サルトルはじめとするパリの知識階級と、世界中のアーティストたち、たとえば作家やアメリカ人ジャズ・ミュージシャン、ミュージックホールのスター、若手シャンソン歌手、そして彼らに憧れる若者たちが集まるエリアでした。

diptyqueの始まりはつつましいもので、店では三人のアーティストたちが自分たちの思うままにファブリックを創作していました。やがて彼らは、自分たちの作るオリジナル製品に世界各地から見つけてきた様々な時代や文化の品々、すばらしいクラフツマンシップを加えながら、イメージ通りのブティックを作り上げていきます。これが新たな物語のはじまりでした。世の中の流行とは一線を画した彼らの美に対するこだわりによって、diptyqueの名は少しずつ知られていくようになるのです。