diptyque:50年の歩み

06.03.2018
Desmond Knox-Leet et Yves Coueslant devant la boutique diptyque du 34 boulevard Saint Germain.

Desmond Knox-Leet et Yves Coueslant devant la boutique diptyque du 34 boulevard Saint Germain.

1960年代はdiptyqueにとってとりわけ重要です。というのも、この10年の間にdiptyqueは2度誕生したからです。1961年、ブランドの創業者たちは、旅先で見つけた珍しい工芸品や自ら手がけた作品を販売する小さなブティックをオープンします。その後、1968年に『L’Eau(ロー)』が創られ、フレグランスメゾンとしての歴史が始まりました。

創業当時のdiptyqueを取り巻く高揚感や美意識は表現し難いものでしたが、店を訪れた人びとのきらきらと輝く目が、何よりもそれを物語っていました。ブティックのあるサン・ジェルマン大通り34番地は、モベール地区の一画に位置しています。当時、おしゃれな夜遊び人たちが徘徊していたサン・ジェルマンからほど近く、職人の工房が集まり、静かで国際色豊かな暮らしやすいエリアでした。

宗教音楽やロック、バレエ音楽が流れる店内には、世界中から集められた1,000種類ものオブジェがならび、そのどれもがハンドメイドでした。古いものから新しいものまで、おもちゃ、珍しい皿、貴族の帽子、ヒンズー教のお面、凧、木製の鳥、ラファエル前派の彫刻作品、ファブリック…。これらの貴重な“がらくた”は常時入れ替わりました。工場でつくることはできないため、商品の数には気を配る必要がありました。一時は、ジャンヌ・ランヴァンやポール・ポワレが1930年代に手がけたオートクチュールのドレスを扱っていたことも!こうした楽しい”がらくた”の中には、香りにまつわる商品もありました。インセンス、パリではあまり知られていなかった英国製のフレグランス、自家製ポプリの入った匂い袋…。

デスモンド・ノックス=リット、クリスチャンヌ・ゴトロ、イヴ・クエロン、diptyqueを創業したこの3人の仲間は、旅先で見つけてきた手工芸品を自分たちのクリエーションに融合させました。最初に手がけたのはファブリック。グラフィックアートに没頭していた3人は、自分たちで柄をデザインし、選りすぐりの職人たちが生地を織り、それをプリントしました。その後、フレグランスに着手します。親しい友人から教えてもらった伝統的なレシピを使って、ポプリをつくることから始めました。1963年には、デスモンドが店の奥で最初のキャンドルを完成させていました。香水作りというおぼろげな未来が、日増しにはっきりとその姿を現してきたのです。

『L’Eau(ロー)』は、1968年に発表されたdiptyque最初のオードトワレです。この運命的な2度目の誕生に際して、diptyqueはルネサンス時代にさかのぼる英国製ポマンダー(匂い玉)のレシピを復活させました。デスモンドは、アルコールを加える前の香りのペーストに自身の好み、アイデア、時代感覚を反映し、自らを表現しました。このパフュームは、性別を問わず、すべての人に向けた香りでしたが、同時に個性的でもありました。それがデスモンドの生きた時代を捉え、さらには時代を超えて通じることが、年月を経て次第に明らかになっていきます。

そして今年、diptyqueはフレグランスメゾンとして50周年を迎えます。その喜びを2倍にするため、diptyqueは2種類のオードパルファムをご用意しました。『Tempo(テンポ)』そして『Fleur de Peau(フルール ドゥ ポー)』。60年代へのオマージュを込めて、それぞれパチュリとムスクに注目しています。こうした香りはまさしくパフュームの世界に疾風を巻き起こし、この世代の子孫である私たちにもつながっているのです。