黒水仙

23.07.2016
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強い風が吹きつける崖の上の宮殿。それは、ヒマラヤ山麓にひっそりと建つ、打ち捨てられ荒れ果てたかつての後宮でした。その場所は過去の記憶を燃えさかる炎のごとく蘇らせます…まるで心の底にくすぶっていた残り火が、再び輝きを放つかのように。ここに修道院を開くことになった5人の尼僧たちも、その定めに抗うことはできませんでした。

映画『黒水仙』は、1947年、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーにより共同製作されました。1948年、ゴールデングローブ賞撮影賞を受賞、またアカデミー賞では撮影賞と美術賞を獲得しています。

アーティストに求められる才能とは、自らの美意識を可能な限り具現化し、主題を際立たせることかもしれません。人里離れたヒマラヤ山麓に経験の浅い尼僧たちが布教活動のため赴任するところから、物語は始まります。彼女たちには地元の文化や習慣の知識もなく、大英帝国から派遣されたその地の代表者に協力を求めますが、気さくで男性的な魅力を備えたその男の存在は、やがて悲劇を引き起こすことになるのでした。この作品のテーマは、尼僧たちの抑圧された心の中の葛藤です。過去の苦しみ、揺らぎ始める信仰、誘惑…。映像表現もまた、舞台となったヒマラヤ奥地をただリアルに再現するのではなく、人間の奥深い心理状態を描き出しています。それゆれ『黒水仙』は、夢を映したかのような作品といえるでしょう。

この名作の奇跡、それはすべてが計算しつくされていることです。フレーミング、カッティング、ナレーション、ビジュアルイメージ、さらにはメイクアップでさえも!これらが一体となって、この映画は語られているのです。撮影のほとんどは英国にあるパインウッド・スタジオに組まれたセットで行われ、背景は光を確保するため35度に固定されていました。この手法はフェルメールやカラヴァッジョ、レンブラントの光の表現に影響を受けたものでした。1905年に特撮の草分け、ジョルジュ・メリエスのアシスタントを務め、後にトリック撮影の魔術師と呼ばれるようになったW・パーシー・デイがガラス版に描いたアートワークは、映画全編に取り入れられています。あらゆるものがフェイクであるにもかかわらず、現実よりもリアル。演技と演出もまた、非常に斬新でした。断崖絶壁で二人の尼僧が対峙するラストシーンでは、彼女らがまるで表裏一体の存在であるかのような演出、音楽のテンポに合わせたコマ割り…その後にブライアン・イースデイルによるオーケストラ演奏が続きます。そして何よりも『黒水仙』に忘れ難い印象を与えているのは、圧倒的に美しいテクニカラー。これにより、サイレント映画や表現主義の流れを汲む新たな作品が誕生したのです。

この映画のタイトルは、1911年に発売されたキャロン社の香水『ナルシス・ノワール(黒水仙)』にちなんだものです。尼僧たちに教えを請うた若き王子が身につけていた香りが、信仰生活に入る前の彼女たちの記憶を呼び覚ましたのです。べトナムで子供時代を過ごしたイヴ・クエロンの母も、この名香を愛用していました。彼にはその香りが、母親を取り巻く官能的な光の輪のように輝いて見えました。この珠玉の名画への賛辞は、そんな彼の過去の思い出(memento)と共鳴しているのです。

 

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