黄金のシュロ

17.05.2016
Affiche de Jean-Gabriel Domergue

Affiche de Jean-Gabriel Domergue

カンヌ国際映画祭の授賞式は、今なお象徴的なものであり続けています。その趣旨とは、政治的志向ではなくあくまで芸術的な評価に基づいて、映画芸術を称揚すること。そして、この映画祭のシンボルである『パルム・ドール(黄金のシュロ)』もまた、時を経て、人々の心に残る賞としての確固たる地位を築いています。

カンヌ国際映画祭は、「芸術的客観性および絶対的な公平性」をもって映画芸術を評価するという意義のもとに設立されました。それは、ファシスト政府の影響下にあったヴェネツィア国際映画祭が、1938年のヒトラーによる介入を頂点に、戦争プロパガンダとして利用されてきたことに反旗を翻すものでした。

各国との水面下での交渉をはじめ、第1回カンヌ映画祭の準備はあわただしく進められました。1939年9月1日、世界に向けて華々しく開催される予定でしたが、皮肉にもその日、ナチス・ドイツ軍がポーランド領内に侵攻し、第2次世界大戦が勃発。結果、映画祭は1946年まで延期されることとなります。第1回カンヌ映画祭は外交官フィリップ・エルランジェに捧げられました。彼は、文部芸術大臣ジャン・ゼの後ろ盾を得て、映画祭の創立に尽力した人物。ですが、1944年、親ナチス民兵組織の銃弾に倒れ、このときすでに亡くなっていたのです。2015年、彼の遺灰は数々の偉人が埋葬されるパリのパンテオンに納められました。

1939年、コートダジュールの名門ホテル、オテル・デュ・キャップ・エデン・ロックで、最優秀作品に出演する女優および男優に贈られる純金のブローチとシガレットケースが公開され、注目を集めました。1946年から1954年まで、審査員によって選ばれる最高賞は『国際映画祭グランプリ』だったのですが、1955年にはトロフィーの形にちなんで『パルム・ドール』と呼ばれるようになり、その後9年間、この名称が使われました。組織委員会の間で様々な意見の対立があり、1964年、カンヌ映画祭から『パルム・ドール』は姿を消しますが、1975年に復活。数年後にはしっかりと定着し、今日に至っています。

受賞者に“シュロ(パルム)の葉”を贈るというアイデアを思いついたのは、当時のディレクター、ロベルト・ファーブル=ル・ブレでした。シュロのモチーフには二つの意味が込められています。シュロの葉は古代より勝利の象徴であり、またカンヌ市の紋章でもあるのです。今でもクロワゼット大通りにはシュロの木が並んでいます。

次に、組織委員会はジュエリーデザイナーたちからデザインを募りました。ルシエンヌ・ラゾンが提案したデザインを基につくられた『パルム・ドール』は、当初テラコッタの台座に載せられていましたが、1975年になると、内側に白のスエードを張った真っ赤なモロッコ革のケースに収められるようになります。80年代初頭、台座の形はピラミッド型に変わり、1992年、ティエリー・ド・ブルケニーによってデザインが一新され、クリスタル製となりました。1997年以降は、スイスの宝飾店『ショパール』が独占的に製造する権利を所有しています。18金イエローゴールドでできたトロフィーの重さは118g。高さ13.5cm、幅9cmで、彫刻を施された19枚の葉はクリスタルの台座に固定され、現在では青いモロッコ革のケースに収められています。『パルム・ドール』は、宝飾店の金庫の中で、新たなヒーローあるいはヒロインの登場を待っているのです。 

移りゆく時代の中で、シュロの葉はつねに一つの象徴であり続け、優れた学府のシンボルとしても使われています。中でもこの黄金のシュロは、まさに伝説と言えるでしょう。

 

diptyqueは、カンヌ国際映画祭の公式パートナーです。