麗しのロザムンド

07.02.2017
Fair Rosamund, 1861 (Dante Gabriel Rossetti, 1828-1882), National Museum.

Fair Rosamund, 1861 (Dante Gabriel Rossetti, 1828-1882), National Museum.

“麗しのロザムンド”は、もっとも偉大な王と称されたプランタジネット朝イングランド王、ヘンリー2世の愛妾でした。史実とされる彼女の物語の多くは、必ずしも真実というわけではなく、神話に彩られています。彼女に捧げられた歌や小説、絵画…想像が実際の歴史を凌駕してしまったのです。愛、迷路、殺人、そして薔薇。ロザムンドの伝説は、季節を問わず、永遠に咲き続けます。

ロザムンド・クリフォードは、ヘンリー2世の寵愛を受けていました。野心も影響力も持たないこの美女は、君主の心を虜にしました。当然ながら、王と諍いが絶えない王妃、アリエノール・ダキテーヌはこの愛人が気に入らず、殺害に関与したとまで言われています。1176年、ロザムンドが亡くなり、王は悲嘆にくれました。彼女の亡骸は、ゴッドストウ修道院へと運ばれ、祭壇の真正面にあたる場所に埋葬されたことがわかっています。地元の人びとは彼女に敬意を表して花やろうそくを供え、国王自身も彼女の命日に薔薇を手向けるよう命じていました。ところが、教会に愛人を埋葬するとは何事かと腹を立てたリンカーン司教が、尼僧たちに不名誉な墓碑銘が刻まれたこの墓を撤去させてしまいます。以来、墓の行方は不明のまま。伝えられているところによると、ロザムンドは、秘密の通路、いわゆる“迷路”を抜けた先にある塔の足下に葬られ、その旧跡は、16世紀、エリザベス女王の治世時代まで残っていたとか。こうしたすべてのエピソードがおとぎ話のようでしょう?

ロザムンドは愛に満ちた想像をかき立てる、理想の恋人でした。英国の偉大な詩人、ジェフリー・チョーサー(1340-1400)は『ロザムンドへ』と題した物語詩を書き、望みのない純愛を謳いました。ウォルター・スコット(1771-1832)の小説『ウッドストック』にも、件の迷路の話が登場します。ラファエル前派の画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)は、夢見るような表情をたたえた『麗しのロザムンド』を描き、数年後にはジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1879-1917)もまた、彼女の肖像画を手がけました。

事実であれ想像であれ、迷路は愛しい人に会うことの難しさの象徴であり、実にロマンティックです。恋人を他の者から隠すためだけでなく、神聖な通過儀礼であり、迷路によって二人の逢瀬はありふれたものではなくなるのです。伝説によれば、国王は彼女の元へ行こうとするたびに道に迷い、道しるべの赤い糸に導かれてようやく隠れ家にたどり着いたそう。しかし、宿敵である王妃もその糸を見つけ、ロザムンドに「剣か毒か」という死の選択を迫りました…。彼女の死後についても人びとの想像は尽きることがなく、やがて迷宮の石壁は薔薇の茂みにびっしりと覆われたと語り継がれています。

こうしたさまざまな夢想の果てに、ロザムンドは愛を象徴する薔薇の名前として、永遠のものとなりました。「ロサ・ムンディ」、別名をロサ・ガリカ・ベルシコロール(Rosa gallica versicolor)。ダマスカス原産の有名な赤い薔薇で、アポテカリーローズとも呼ばれるロサ・ガリカ・オフィキナリス(Rosa gallica officinalis)の子孫です。