香水と社会道徳

25.07.2017
Fleur des champs - Louis Janmot (1845), Musée des beaux-arts de Lyon

Fleur des champs - Louis Janmot (1845), Musée des beaux-arts de Lyon

歴史学者のアラン・コルバンが、18世紀半ばのフランスに遡る香りと私たち人間との関係、その進化について著した『においの歴史 – 嗅覚と社会的想像力』。この膨大な研究には及びませんが、現代の香水の始まりについての事実を、ここでいくつかご紹介しましょう。

人間社会において、嗅覚は五感の中で最も著しい進化を遂げてきました。時代が違えば香りの感じ方や表現も違うため、200年以上前の嗅覚の世界を想像するのは不可能です。しかし、その後、ヨーロッパでは個人の日常生活における衛生観念の普及、公衆衛生行政の実施といった、現代につながる改革がゆっくりと進んでいきます。

ご存知のように、この時代、屋外は悪臭や廃棄物、発酵臭、腐敗臭に満ちていました。体臭もまた、私的空間にとどまっていたわけではありません(これについては、いまだに考慮されないこともしばしば…)。その一方で、旧体制の貴族社会では、臭いを隠すために強い香水が使われ始めていました。人間が不快に感じる臭いは当時も今と変わらなかったと思われますが、その度合いはどのようなものだったのでしょうか? 

18世紀末から19世紀にかけて、フランスでは匂いを取り巻く状況が変化しました。その結果、香水と私たちの関係は転機を迎え、その成分配合や社会的価値も影響を受けました。近代の始まりを告げたルネサンス期以降、視覚は知性と真実を示すものとされ、聴覚は噂話が飛び交う混沌とした社会に適応していきます。翻って、18世紀末に書かれた文献には「匂いは大いなる魂の動きを生じさせる」(アラン・コルバン)とあります。ロマン主義の先駆者たちは、都会のうんざりするような悪臭とはかけ離れた牧歌的な香り、花や干し草、木々の葉の匂いを謳いました。田園の香りは精神に内なる生命を与え、調和を生む…。ロマン主義に発し、匂いは人びとを感傷的にしました。愛し、愛される感情を呼び覚まし、とりわけ花の香りは純粋な感情と結びつくようになりました。

さて、この頃、歴史の上では新たな世界が誕生しました。科学と技術の進歩、都市化に象徴される産業の時代です。ブルジョワジーが台頭し、産業が経済を支配する豊かな社会は、これまでにない価値観と行動様式をもたらしました。この新たな秩序によって、公衆衛生や家庭における衛生管理といった概念が広まり、潮流となったのです。身体を洗う、居住空間を換気するといった習慣は徐々に浸透し、健康と社会道徳は姉妹のような関係へと発展しました。これらの政治的、倫理的、医学的(後には心理的)要因と相まって、匂いは社会的な重要性を持つようになり、その成分や用法と共に、香水は広く認識されるようになりました。香水は現在、部屋やベッドリネンの浄化、空気の清浄、さらには魅惑的な雰囲気づくりにも使われています。そのほか、樟脳やタバコなどは、保存剤や住居用洗剤としても用いられています。

匂いは社会道徳の高揚を示す物差しです。時を経て香水は洗練されてきましたが、この時点ではまだ美的感覚と結びつけて考えられていたわけではなく、良き習慣あるいは悪しき風習の名残と見られていました。香水は、相変わらず何百年も前のイメージ、すなわち怠惰や堕落といった既成観念にとらわれているようでした。 

品行方正な女子は慎み深くなくてはならず、その純潔を示すように、花の純粋さに例えられました。反対に、主張の強いフレグランスは、化粧の濃い娼婦や貞操観念が低い女性が身につけるものとされていました。若い女性あるいは社会的地位のある淑女は、決して肌に直に香水をつけることはなく、ハンカチなどの装身具に軽く染ませ、その香りは自然に咲く花々を思わせるものだったと言われています。こうした香りは、19世紀を通して大流行しました。ムスクやアンバー、ジャコウといった動物系の香りも一時的な盛り上がりを見せましたが、間もなくより柔らかなものに改良されていきました。 

19世紀後半、とりわけ19世紀末近くになると、「香りの美学はありふれたもの」(アラン・コルバン)となります。やがて音楽の世界に倣い“Compositeur(香りの作曲家)”と呼ばれる職業が現れ、微かな不協和音を交えながら、フレグランスというハーモニーを奏で、新たな芸術を世に送り出し始めるのです。