香りのデザイナー

10.11.2015
Voyage-new

スパイスや香草、花の香り…さまざまな匂いが旅を思い起こさせ、遠い記憶へと誘います。旅の思い出は映像となって、まるで夢の中の出来事のように生き生きと蘇るのです。 

スコットランド系アイルランド人であるデスモンド・ノックス=リットは、大英帝国の繁栄の下に灌漑されたケルト地方の人里離れた農村で育ちました。イヴ・クエロンはベトナム育ち。濃厚な香りが漂う蒸し暑い空気の中で毎日を送りました。フォンテーヌブローの森の近くで子供時代を過ごしたクリスチャンヌ・ゴトロは、広大な森の中をひとりふらふらと歩き回っていたことでしょう。創業者三人にはそれぞれ、たくさんの香りに満ちた思い出があります。とはいえ、思い出を喚起するパフュームを生み出すことになるとは、夢にも思っていませんでした。

diptyqueの壮大な香りの物語が始まったのは、1963から64年にかけてのこと。ワックス(蜜蝋)を扱うキャンドルメーカーに、香り付きのキャンドルの話を持ちかけられたのです。サンザシ(バラ科)や紅茶、シナモンを使うアイデアを思いついたのはデスモンド。これが現在にまでいたる、香りのデザイナーdiptyqueの冒険の幕開け、さらに、香水の流通という新たな事業のきっかけでもありました。どちらも当時のフランスではまだなじみのない新しいものでした。

デスモンド・ノックス=リットは、英国の伝統的なパフュームを広めたいと考えていました。英国のパフュームが優れているのは、霧が多く湿度の高い気候と関係しています。英国では、ヴェチヴァー(イネ科の植物)やイランイランといったエキゾチックなスパイスを使ってフレグランスを作ります。その香りは一般的に、若々しく快活で、親しみやすく健康的。フレッシュな香りが長く続くオードトワレが主流です。

英国のパフューマーと言えば、Floris(フローリス)、Culpeper(カルペパー)、Trumper(トランパー)、Penhaligon’s(ペンハリガン)などが有名ですが、ビネガートワレやオードトワレで知られるRimmel(リンメル)も忘れてはならないブランドのひとつ。その商品名は、遠い昔に世界を旅した冒険者たちを思い起こさせます。ヴァージン諸島やバルバドスの入植者たちの間でとても人気のあったアフターシェイブローション「ジャマイカン・ベイ・ラム」をはじめ、「ウエスト・インディアン」、「シシリアン・ライム」…。これらのオードトワレはかつてdiptyqueでも販売されていました。

diptyqueでは、石けんやシェービングソープ、香り付きタルカムパウダー、「ヴァイオレット・オートミール」というリンメル社のフェイスマスクなども扱っていました。さまざまな種類のドライフラワーを細かく切って作られるポプリもカップボードの中に吊られており、もちろんそこには、三人の友人だったマーウィン夫人の「Le Redouté(ル ルドゥテ)」も。ご存知のように、エリザベス朝時代のレシピそのままに作られた典型的な英国フレグランスです。他にも、乾燥させたオレンジの皮にインドネシア産クローブを突き刺して作る「カルペパー」のポマンダーや「ハサウェイローズ」のポプリ用ボウルが置かれていました。

デスモンド・ノックス=リットが少年時代にスコットランドやアイルランドの荘園で嗅いださまざまな匂いは、やがてフランスで商業的成功をもたらすことになります。次に彼らが取り組んだのは、もちろん、diptyqueオリジナルのオードトワレを作ること。diptyqueのフレグランス「L’Eau(ロー)」は、16世紀のレシピを改良し、再生したもので、サンダルウッド、シナモン、ローズ、クローブ、ゼラニウムが使われています。1968年に発売されたこのオードトワレは男女兼用。性別ではなくスタイルに合わせて選んでほしいという思いからでした。

天命とも言えるdiptyqueの生業はこのとき始まりました。パフューマーというよりも、キャンドルやオードトワレ、パフュームを通じて、現在に過去の記憶を吹き込む香りのデザイナー。その後もコールドワックス・ソープや香りの砂時計型ディフューザー、電気式ディフューザーの技術で特許を取得し、diptyqueの冒険は漂う香りのように広がり続けていくのです。