香りが刻む時間

30.10.2015
An-hourglass-of-scents---FRONT-PIC-(L'Horloge-Végétale-de-Car-von-Linné)

有名なプルーストの小説の中で懐かしい菓子の味が過去の記憶を呼び覚ますように、嗅覚と時間にも不思議な結びつきがあります。香りによって、過ぎ去った時が思い出されるだけでなく、ヴェールの下に潜んでいた過去が、まるで今ここで起きている出来事であるかのように蘇ることも。過去を思い出すのではなく追体験する…色彩が、人々の顔や声が、思考や感覚が、当時のままに、香りによって再現されるのです。五感の奥底に眠っていた人生が蘇り、永遠に続く現在が始まります。

「光陰矢の如し」という諺がありますが、嗅覚と時間に呼応するメタファーはありません。そこで思いついたのが、香りの砂時計というアイデアです。でも時間を刻むのは砂ではなく香水。ガラス瓶をつなぐ芯に染み込み、滴りながら香りを放つのです。無垢な心と巧の技が出会って生まれたこのアワーグラスは、diptyqueの特許となっています。

長い歴史の中で、時間にまつわる発明品は数多くあります。それらに使われているのは、自然界を構成するすべての元素、土、水、火、そして香り。昔からある砂時計は、一定の時間を計るのに使われます。古代エジプトで使われた“クレプシドラ”は、一定量の水を絶え間なく注いで時間を刻む水時計。中国では、千五百年以上に渡って香時計が使われていました。ゆっくりと燃える抹香が糸を焼いて重りを落とし、時間の経過を知らせるのです。イギリスのアルバート大王は、夜のお祈りの時間を知るために、目盛りのついたろうそくを使って、炎の移り変わりと共に時間を計っていたと伝えられています。後の時代には、オイルランプも使われていたようです。正確に時間を告げるというわけではありませんが、手軽に明かりを灯せるオイルランプが時計の役割を果たしていたのでしょう。矢が飛ぶように過ぎる時間の香り。それはときに何かが燃える匂いだったのかもしれません。

史上もっとも詩的な時計と言えば、18世紀にスウェーデン人博物学者、カール・フォン・リンネによって発案された花時計でしょう。花はそれぞれ、日々、規則的なリズムで咲いたりしぼんだりしています。その開花・閉花時刻が時を知らせるのです。たとえば、マルバアサガオ、別名モーニンググローリーは朝4時に開花します。キンポウゲは朝5時に、睡蓮とマリゴールドは7時。キンセンカは毎朝9時ぴったりに咲きます。リンドウがその花びらを広げるのは10時頃、カリフォルニアポピーのなめらかなオレンジ色の花びらが現れると11時前。朝寝坊のトケイソウが咲くのは正午あたりで、午後1時になるとカーネーションやアイレットが続きます。ほぼ1時間おきに咲いたり、しぼんだりする花もあります。睡蓮の花は午後5時には閉じてしまいますが、ゼラニウムの開花はかなり遅くて午後7時頃…。天候や風、緯度、温度・湿度の影響を受けながら刻まれる時間は、花の色や香りとのマリアージュ。まるで絶妙に調香された香水のように。日々のサイクルは似ていても、花時計の刻む時間は、場所や気象条件によって少しずつ違っているのです。かの有名なニーチェは円環的な時間について語り、同じく哲学者であるアンリ・ベルクソンは、時間を「絶えず変化する予測不能な持続の流れ」と定義しました。それはまったく花の開花のようだ、と。

そこに在りながら、まるで空気のように実体のない時間と香りの関係。止まった時間を覚醒させるdiptyqueのアワーグラス (砂時計)。静かに漂うフレグランスの香りと共に、優雅なひとときをお楽しみください。