贈り物

13.08.2018
Francis Ford Coppola - The Godfather (1972)

Francis Ford Coppola - The Godfather (1972)

贈り物の小さな社会学

贈り物をもらう、それは崇高なサプライズ。包みに秘められ、一刻も早くその謎を解き明かそうと、人々は躍起になります(テープや紐、リボンのしつこさと言ったら!)。贈り物をするのが好きな人もいれば、より多数派の、もらうのが大好きな人たちも。しかし、より冷静な人、ごく少数ながら、断固反対という人もいます。なぜなのでしょう。彼ら曰く、欲しいものは自分で選びたい。そして何より、人が喜ぶものを探すのに疲れてしまう。実際、彼らは贈り物によって、恐るべき未知なる深み、愛情と絆、愛と友情の世界に引きずり込まれると、直観的に感じてしまうのです。

社会学の古典的研究によれば、贈り物のボリュームで、ある人の人間関係の‘地図’を作成することが可能だといいます。この友達、このおじさん、このいとこは大好きで、この人たちは普通、この人たちは全然、と。つまり、贈り物により、ある種自分の気持ちを“測る”ことが出来るのです。とは言え、その結果は常に完全に信用できるものではありません。夫が何かの許しを請うため、妻に宝石を贈るようなお馴染みのケースは、時に贈り物がより複雑な現実を隠すことを示しています。しかし愛好者たちは、強制的あるいは代償的なこうした贈り物が美しいものであることはほとんどないということをよく知っています。美しい贈り物には、自らを際立たせる次の3つの特徴があるのです。

まず、当然ですが敢えて述べると、それが美しく、洗練されていて、包みを開けた瞬間に衝撃と驚きをもたらすものであること。

次に、これははるかに難しい条件ですが、それがもらい手の密かな欲望とマッチしていること。最も強い衝撃と驚きをもたらす贈り物は、ある人がいかにも欲しがりそうであるにも関わらず、それに自ら気付かずにいた物です。それは贈り主があなたのことを、どれほど深く知っているかを示してくれます(ちなみにこれが、贈り物反対派の人々を疲れさせ、怯えさせるものなのですが)。

最後に、この衝撃、驚き、そして絆の共有には、日常生活とは切り離された、魔法の瞬間を生み出す力があります。私たちが束の間感じる、まばゆいばかりの充足感。人々はそれを、幸せと呼ぶのです。

ジャン=クロード・コフマン

社会学者