薔薇とエロス

28.01.2016
Fleurs dans un vase en verre avec papillon et scarabée, sur un rebord en pierre (détail) - Nicolaes van Veerendael (1640-1691)

Fleurs dans un vase en verre avec papillon et scarabée, sur un rebord en pierre (détail) - Nicolaes van Veerendael (1640-1691)

薔薇とエロス イザベル・エティエンヌによる寄稿

あらゆるものを想起させ、象徴する薔薇の花は、暗喩や比喩の世界に君臨する女王。詩人ドミニク・フルカドは『Rose-Déclic (Click-Rose)』という作品の中で「さまざまな形で普遍的な象徴として用いられる薔薇は、控えめでありながら、あらゆるものに印を刻む」と記しています。神秘的な薔薇の花は純潔の象徴であり、流行歌の中ではつねにその存在感を示し、いくつもの国家の紋章、ときには政治的なシンボルとして使われることも。その一方で、薔薇は官能的な喜びや恋慕の感情を喚起させ、古代ギリシア・ローマ時代から変わらず、文学表現になくてはならないものとなっています。こうした薔薇のイメージの起源は愛の神エロスであり、国境を越えて広まりました。まるでエロスが、人々の心と体にその戒律を刻みつけたかのように。マルセル・デュシャンの女性人格、Rose Selavy(ローズ・セラヴィ)はフランス語の”Eros, c’est la vie”(愛欲、それこそ人生)をもじったものです。ロベール・デスノスのアフォリズム(格言)にこのフレーズが登場することはよく知られていますが、彼が手がけた数多くの歌詞にも繰り返し使われています。

ギリシアの女流詩人、サッフォーは、紀元前7世紀にすでにこう明言していました。「もしゼウスが花に女王の称号を与えたならば、薔薇こそが花の世界に君臨することになるだろう」。『薔薇物語』をはじめ、『薔薇の名前』、ロンサールの『Odes(オード)』、『星の王子様』、ペルシアの詩人、オマール・カヤームによる有名な四行詩、ライナー・マリア・リルケの詩集『Les Roses(薔薇)』、トルコ生まれの詩人、ナーズム・ヒクメットによる『Paris, My Rose』、さらにはマルセル・プルーストやジャン・ジュネ…歴史をひも解けば、たしかにサッフォーの言葉通りとなったようです。洋の東西を問わず、アラビア語でもペルシア語でも、トルコ語や中国語で書かれた詩においても、薔薇は、わずか数語で意味するところを伝える一連のシニフィアン(記号表現)の中心的存在であり、まるで文学の歴史に散りばめられた星屑のよう。ときには相反する意味で使われることもあり、たとえばボードレールにとって花々とは類まれでエキゾチックな存在であるべきものでしたが、彼の詩集『悪の華』では、弱々しくはかなげものの比喩として薔薇が用いられているように思われます。

薔薇をめぐる飽くことなき探求。詩や文学の世界で花々の頂点に君臨する女王は、哲学・思想の分野においても輝きを放っています。ドイツの詩人、アンゲルス・シレジウスの名言は多くの思想家たちに感銘を与え、哲学者、マルティン・ハイデッガーも影響を受けました。「薔薇はなぜと言う理由もなく咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない」。

ここに、薔薇が文学的モチーフとして拡散し受容されていたことを示す短い一文があります。この世でもっとも美しいもの、それは薔薇。しかし、その薔薇ですらかなわないものがあると、フランスの宮廷詩人、クレマン・マロの「Blason du beau tetin」(ブラゾン:16世紀頃の詩のジャンル)は謳っています。

ふくよかな乳房、卵よりも白く。

まっさらの白いサテンのように。

何よりも美しい乳房。

その前では薔薇の花でさえ恥じ入る…

この詩人にとって、絶対的な欲望の対象であり、女性を象徴する身体の一部に並ぶ唯一無二の存在が、完璧なまでに美しい薔薇だったのです。

プルーストの作品を読み進めると、そこには百種類以上もの花が描写されています。花という題材はプルーストの作品において特別な意味を持っており、感情や記憶と切り離せないものでした。たとえば、淡い紫色の藤やライラックの花は誘惑を象徴し、蘭の花は情念や性的倒錯の現れ…薔薇(その色、香り、繊細な枝ぶり)は、プルーストにとって官能の目覚めを象徴し、同時に欲望を示唆するものでした。とくに、薔薇と聞いてまず思い浮かぶのは、『失われた時を求めて』に登場する、アルベルチーヌに関する記述でしょう。「彼女の頬は紫がかったピンク色でクリームのようにやわらかく、つややかでなめらかな薔薇の花のようだ」。さらに「その味わいはまるで薔薇のよう」とも。アルベルチーヌは、同作品が物語の語り手(主人公)の欲望や情愛をテーマに語られる際、もっとも引用されることの多い重要な登場人物です。

「そして、懇意にしている若い女性を通じてまた新たな若い女性に出会うことへの期待と喜び。それは、まるで一つの薔薇からまた別の新たな薔薇の品種を見いだすようなもの。そんな風に連なる花の花びらから花びらへと記憶を遡れば、新たな薔薇を見いだす喜びを私に教えてくれたあるものを思い出す…。」 

物語に登場する若い女性たちは度々、「ペンシルヴァニアンローズの茂み」あるいは「薔薇の束」として描写されています。文中に散りばめられた薔薇の花が、語り手(主人公)の欲望の兆しや象徴、痕跡として香りを放ち、また、あらゆる薔薇の花の微妙な色調で彩られるパレットによって、語り尽くすことのできない物語の謎が描かれているのです。作中で語られる音楽、ヴァントゥイユのソナタを描写するちょっとした一文にも薔薇が登場します。「夕暮れの湿った空気の中に漂う薔薇の香りに思わず鼻孔がふくらむように、彼の心を開いたのだった」。

 

イザベル・エティエンヌ