緑色の林檎と灰色の脳細胞

17.07.2018
Illustration du détective Hercula Poirot (© Illustrated London News Ltd/Mar)

Illustration du détective Hercula Poirot (© Illustrated London News Ltd/Mar)

ヘスペリデスの園から黄金の林檎を盗み出すというのは、ヘラクレスの12の功罪のうちの11番目にあたります。それをもとに生まれたのが、「図体のでかい筋肉自慢で、ろくな知性もなく、おまけに犯罪癖をもつ」このヘラクレスよりもはるかに上品なもう一人のヘラクレス、すなわち名探偵エルキュール(=ヘラクレス)・ポアロによる12の冒険譚、その第11章なのです。

この神話に語られる黄金の林檎は、象徴的にはオレンジあるいはマルメロ、またギリシャ語の林檎(Mêla)と発音が同じであることから、羊のことを指しているとも考えられていました。しかし、なんとそれが、エメラルドとは。この果実は、イタリア・ルネサンス期を代表する偉大な芸術家、ベンベヌート・チェッリーニの作とされる、値段がつけられないほどの価値をもつ酒杯に嵌め込まれています。「酒杯が木を象り、宝石をまとったヘビがその周りに絡みついている。そして枝には、かくも見事なエメラルドの林檎が実っていた」。アガサ・クリスティが生んだ名探偵は、そんな黄金の林檎にまつわる事件に挑むことになります。

ギリシャ神話をモチーフにした12篇の短編小説をからなる『ヘラクレスの冒険』のなかで、エルキュール・ポアロは探偵業を引退しようと決意します。最後の仕事として、この身だしなみにこだわる探偵が選んだのは、古代ギリシャの英雄の冒険譚にこじつけた12の事件でした。すべては、ポアロの知人であるバートン博士のからかいに端を発します。オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジの評議員でもあるバートン博士は、名探偵の洒落た装いに対して、だらしのない身なりをした人物。そんな彼が、古典に触れたことのないポアロを批判します。ポアロは「そんなもの知らなくても、上手く暮らしてきましたよ」と、この自惚れが強く、けれど気のいい老人に反論してみせました。

ポアロが後日、ヘラクレスの冒険譚を拾い読みすると、この英雄があまりに粗野であることに驚きます。神話の神々については「こちらは、まったくのならず者のごとき振る舞い。飲酒に放蕩、近親相姦、強姦、略奪、殺人、詐術による遺産強奪と、治安判事がかかりきりにならなければいけないことばかりだ。まともな家庭生活などありはしない。何の秩序もなければ、道理もない。重罪や軽罪だらけで、規範や理性などあったものではない」

かくしてポアロは、ヘスペリデスの園に実る黄金の林檎に関連した、とある事件に挑みにます。値段がつけられないほどの価値をもつ酒杯が盗まれ、その持ち主だったアメリカ人富豪から、ポアロは捜索の依頼を受けます。いくつかの手がかりをもとに、ポアロは世界中を飛び回り、瞬く間に真相を突き止めます。そして最後のどんでん返し。予想外かつ倫理にかなった方法を用いて、依頼主に盗品の返却を断念させるのです。

作者のアガサ・クリスティは、「あたかも自分が高貴な出自とでも言うように、この小男は粛々として『私がエルキュール・ポアロです』なんて宣言するのよ」と、自らが生み出したヒーローの虚栄心を茶化しています。とはいえ、ポアロの行動は寛大で、理にかなったものです。そのため、本質的には善良な人物といえるでしょう。ポアロは、きわめて几帳面でありながら、それでいて首尾一貫しているわけではありません。12の事件を解決した後も、当初の予定通り引退してカボチャの栽培に勤しむのではなく、その素晴らしい灰色の脳細胞をさらなる冒険に役立てているのですから。