日本の色

27.05.2018
Catalogue de l'exposition "L'expérience de la couleur" du musée national de Céramique de Sèvres (p.129 © tous droits réservés)

Catalogue de l'exposition "L'expérience de la couleur" du musée national de Céramique de Sèvres (p.129 © tous droits réservés)

多くの場合、言葉は、何かを示すようになる以前に、それ自体に意味があります。日本語とフランス語の「色(couleur)」という言葉の由来には、ふたつの世界観が現れています。それならば、このふたつの言葉から私たちが受け取るものは、果たして同じなのでしょうか。

そもそも、「色」というものは存在しませんでした。色とは物理的な性質ではなく、光を電気信号に変換し、視神経を通して脳に伝えることで知覚される現象です。私たちが見ることのできる光の波長は一定であり、それを言葉により、色またはそのニュアンスに応じて、それぞれ分割しています。眼は見るだけで、あとはそれをいかに言葉で表現するかという話になります。色をどう呼ぶか明確にすることは、人間にとって、識別し特定できないものは存在しないも同じであることからしても、理にかなっています。

フランスのセーブル国立陶磁器美術館で開催された『色の体験(L’expérience de la couleur)』(2017年10月13日~2018年4月2日)という展覧会のカタログのなかで、大江ゴティニ純子(Sumiko Oé-Gottini)氏は、日本語というフィルターを通して「色」を紹介しています。ここでは、インド・ヨーロッパ語との比較を行い、そこから派生したフランス語、英語、ドイツ語、ギリシア語、ケルト語、北欧語、現代アイスランド語といったさまざまな言語において、意味論的な見地から「色(couleur)」という言葉のもつイメージについて記しています。大江ゴティニ純子氏は、京都のヴィラ九条山の特任館長を務めており、フランス国立科学研究センター(CNRS) の言語学者であり記号学者でもあるアニー・モラー=デスフォー(Annie Mollard-Desfour)氏の研究を参考にしています。

パラドックスのように思えるかもしれませんが、フランス語の「色(couleur)」という言葉は、ラテン語で「隠す」「秘密にする」という意味をもつ「celare」に由来します。そうなると、色は、ものごとの表面を覆い、それらを可視化すると同時に、私たちの知覚外の現実を隠すものであるとも考えられます。

日出ずる国では、事情はまるで違います。表意文字である漢字の「色」は、人がもうひとりの上に重なる姿を象ったものであり、これを「いろ」と訓読みしたのが、日本語の「色(couleur)」という言葉にあたります。「色(couleur)」という言葉は、「隔てるもの」でもありますが、表意文字の「色」は「結ぶもの」です。日本語で「色」は交情を表します。「色」という言葉にはエロスが漂います。「『好色』という表現がありますが、これは文字通り『色を好む』、すなわち「色恋に夢中になる」ことを示し、女たらしは『色男』と呼ばれます」と大江ゴティニ純子氏は書いています。

漢文学者の白川静氏が提唱した「色」という漢字の成り立ちを見ると、この言葉は生理的感覚だけでなく、美的感覚への刺激を表していることがわかります。また、これにはひとりの人間の美質あるいは道徳的資質を賞賛するという側面もあります。このような感性は、平安時代(8世紀~12世紀)ならびに江戸時代(17世紀~19世紀)の芸術によって形成されました。それを示す平安時代における代表的な例には、人類が歴史のなかでもっとも重要な芸術作品のひとつと称される、紫式部の『源氏物語』があります。この作品において「色」とは、視覚だけでなく、五感のすべてで感じる現実の深みをたたえた「いろ」であり、それらがひとつに集約されたものでもあります。『源氏物語』では、「色」は趣をもつものであり、深い情感をたたえ、多彩なニュアンスを伝えるために用いられています。こうした感覚的な要素の融合から、茶道などの伝統芸術においては、鑑賞者も作品の一部であり、むしろその存在感や意識によって成立しているという、極めて観念的なものとなっています。それゆえに、感覚と意味、その両方からなる美的調和が生まれるのです。一方、江戸時代は、財政難に苦しむ徳川幕府が享楽的で富裕な町人たちと対比をなし、色というものが楽しまれていた時代でした。とくに「浮世絵」と呼ばれる当時の風俗を描いた絵は、さまざまな「色」にあふれていました。浮世絵に代表される芸術は巧緻を極めましたが、検閲の対象にされ、後には徳川幕府により一部の色の使用が禁止されます。これらの色には紅や紫も含まれ、顔料が貴重かつ高額であったことも理由のひとつでした。必要は発明の母とはよく言ったもので、 江戸の街の芸術家、芸術通、芸術愛好家たちは、微妙に色合いの異なる茶(ちゃ)や鼠(ねず)といった新しい用語を生みだし、(合法的に)使いだしました。そうして、その巧緻さはさらに彩りを増していきます…。

日本文化は千年以上にわたり、色に対する感性を高めてきました。日本語の色を表現する言葉は、きわめて繊細かつ象徴的で、それぞれの違いは微細…しかし、それとわかるニュアンスが、やはりあるのです。もっともフランス的な哲学者ともいえるミシェル・ド・モンテーニュ(Michel de Montaigne)の言葉を借りるなら「似通っていても同じものではなく、差異によりまったく違ったものになる」。これこそが、「『色』を翻訳するというのは、さまざまな言語や文化、時間と空間において、それを違った視点から見る」ことの理由といえるでしょう。

Ces lignes doivent tout à l’article précité de Sumiko Oé-Gottini, que nous remercions.

大江ゴティニ純子氏の記事を参考にさせていただきました。御礼申し上げます。

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