夢を売る店

07.01.2016
Gault-Millau

業界に大きな影響力を持つ有名レストランガイド「Gault et Millau(ゴー・ミヨ)」の創始者、アンリ・ゴーとクリスチャン・ミヨはdiptyqueを「marchands de rien(何も売らない商人)」と呼びました。数十年前、サン・ジェルマン大通り34番地にオープンしたdiptyque。それは他のどこにもないとてもユニークな店で、他に類を見ないシックなバザール、現代で言うセレクトショップではなかったでしょうか。

三人の創業者たちには、工芸品を見る確かな目と、好奇心、直感力がありました。古代から現代まで、美しいものを求め世界中を旅しながら集めた品々は、形や色、用途、テイスト別に、さりげなく、かつ美しく店内に配置され、つねにリニューアルされていました。そして、そんな小物やおもちゃ、オブジェと共に店内に並んでいたのは、三人のアーティストたちによるクリエーション。最初はdiptyqueオリジナルのファブリック、続いてキャンドル、やがてオードトワレも並ぶようになりました。

その小さな店に漂うどこか陽気な雰囲気に、お得意さまはもちろん、はじめて訪れた人も惹きつけられました。目新しくて、驚きがあって、浮き浮きした気分になれる…オープン当初から、diptyqueにはそんな未知の世界が広がっていました。あらゆる年代に向けたギフト商品や装飾品、いろんな風に使えるオブジェ。すべての商品に共通していることはただひとつ、人々を笑顔にすること。diptyqueが日々大切にしていたものは、幸運な出会い、お客様、そしてサプライズ。常識にとらわれることなく、いわゆる贅沢品ではない手工芸品の美しさや職人の技に対する敬意、さらに英国人的なひねりのあるユーモアのセンスもあり、訪れる人は知らず知らずのうちに、伝統とオフビート、相反する二つの世界を同時に体感できたのです。サン・ジェルマン大通り34番地は、そんな刺激と幸せな混沌に満ちた秘密のアドレスでした。

当時のラインナップをここにすべて記すのは不可能ですが、いくつか例を挙げてみましょう。まずはイングランド、アイルランド、そしてスコットランドの品々。デスモンド・ノックス=リットの家族はアイルランドに移り住んだスコットランド系移民でした。イヴ・クエロンがベトナムで育ったことから、地中海沿岸諸国、メキシコ、アジアの品々もありました。デスモンド、イヴ、クリスチャンヌの三人は、旅先で人々に出会い、多様な文化を学び、さまざまな生活様式に触れる…そんな自分たちの目で見て体験する旅が大好きで、行く先々で手工芸品を収集し、それがどのように作られているかにも興味津々でした。その頃のブティックは、まるで世界中から集めたおもちゃのカーニバルのようでした。日本の凧や木製の昆虫、狩猟に使われる鳥笛には、クリスチャンヌが新たにペイントを施しました。蛇腹式になったドラゴン、ポーランド製のツバメ、オランダ製の人形や曲芸猫、ジグソーパズルなどなど。それから、あの有名なポロックの小さな紙芝居もありました。これについてはいつかまた別の機会にお話しましょう。

絵画もたくさんありました。古い絵葉書や、ミレー、ロセッティ、バーン=ジョーンズといったラファエル前派画家たちの複製画、オーブリー・ビアズリーやケイト・グリーナウェイのドローイング、そしてウィリアム・モリスの図案の複製も。

ヒンドゥーの仮面や古いグランドマザーケトルについてはもうお話ししたでしょうか。珍しい香りのインセンスやポーランド製のテーブルウェア、彼らの友人、アニタ・シヴェッリによる皿。彼女は当時、デコレーターであるアンドレ・プットマンと共に仕事をしていたイラストレーターです。ロレーヌ地方の伝統工芸、手吹きガラスは、ガラス工芸作家ロシェールによるもの。リモージュの磁器や英国ファイアンス焼きの陶器も並んでいました。ウェールズ人デザイナー、ローラ・アシュレイも彼らの友人で、デビュー当時、その作品はdiptyqueでしか手に入れることができませんでした。さらに、スコットランド製エンボス刺繍のベッドリネンやアイルランド製のダマスク織りシーツ、アラン島のウール、シェットランドで織られたタータンチェックなどがあり、中でもウェールズ地方スノードンで作られるベッドカバーはロングセラー商品となりました。他にも、王室御用達メーカー、ロッシュ製の帽子やサンダルウッド(白檀)で作ったカフリンク、それから、ローリング・トゥエンティーズに影響を受けたクリスチャンヌが、チェーンや溶融ガラスを使ってデザインしたジュエリーも。またdiptyqueでは、1930年代にジャンヌ・ランバンやポール・ポワレが手がけた希少なオート・クチュール・コレクションも扱っていました。繰り返しになりますが、これらは絶えず入れ替っていた取扱商品のほんの一例に過ぎません。

あらゆるものが混在するこの楽園に流れていた音楽は、クラシックなバレエ音楽とロックンロール。とはいえ、diptyqueは懐古趣味や過去への郷愁とは無縁。ノスタルジックというよりはむしろ驚きと誘惑に満ちた、不思議な魅力漂う空間だったのです。

当時のdiptyqueは、まだフレグランスにはたどり着いていませんでした。英国製パフュームを選りすぐって揃えていましたが、オリジナルの香り袋を製造するようになるのはもう少し後のこと。創業者たちの情熱はやがて香りへと集約され、今日のdiptyqueの精神へと受け継がれていくのです。