動くアート

24.03.2016
Jean Tinguely, Swiss made, éléments métalliques mobiles et mécanisme d’horlogerie, 1961. Ancienne collection Dagny et Jan Christie’s. Courtesy Christie’s Inc. © Christies images, 2016.

Jean Tinguely, Swiss made, éléments métalliques mobiles et mécanisme d’horlogerie, 1961. Ancienne collection Dagny et Jan Christie’s. Courtesy Christie’s Inc. © Christies images, 2016.

『クリスティーズ』コンテンポラリー・アート部門の専門家、ポール・ニザンによるキネティック・アート及びその一ジャンルであるオプ・アートについての寄稿

 

「動く」アート

キネティック・アートの起源を調べてみると、二人の代表的な提唱者にたどり着きます。まず、マルセル・デュシャン。彼の作品『階段を降りる裸体』(1912)は、「動き」を表現したアートの先駆けでした。そして、もう一人はアレクサンダー・カルダー。ピエト・モンドリアンのアトリエを訪れ、幾何学的な抽象画に感銘を受けた彼は「ここに描かれたすべてのものが動いたら、おもしろいと思いませんか」とモンドリアンに問いかけたそうです。その後、彼は動きを取り入れた彫刻作品「モビール」の制作を始め、キネティック・アートの第一人者となりました。

この新たなアート・ジャンルの礎を築く新世代アーティストたちが登場したのは、1950年代半ばになってからのことでした。完全なる抽象作品でありながら形而上学的な意味を持たず、作家の主観よりも客観的な技術、解説よりも体験、構造よりも構成、安定よりも不安定が優先されるアート。やがてこの「動く」アートは注目を集めるようになります。それは鑑賞者の網膜に直接作用するような作品でした。

ある意図に沿って図形や色を配置することにより生まれる視覚的な遊び。また、プレキシグラス(透明なアクリル樹脂)や電動モーターといった、かつて美術制作に使われることのなかった材料や道具を使ったアート作品は、絶え間ない進化と共にとらえどころのない現実感を感じさせるものでした。

世界中のアーティストが集まるパリでは、ベネズエラ人のヘスス・ラファエル・ソトがベルギー人のポル・ブリと親交を深め、スイス出身のジャン・ティンゲリーは、イスラエル人のヤコブ・アガムと出会いました。4人は、1955年、ヴィクトル・ヴァザルリの発案により、すでに実績を残していたデュシャンやカルダーをはじめとする他のアーティストたちと共にデニス・ルネ・ギャラリーで合同展覧会を開きます。批評家の評価は賛否両論でしたが、このとき本格的にキネティック・アートが始動したと言えるでしょう。6年後には、別のオプ=キネティック・アーティストたちのグループが攻勢をかけます。GRAV (視覚芸術探求グループ) は、単純な図形を利用した限定的な視覚表現を広めることでアートを一般庶民へ解放し、従来のアートと社会の関係を壊そうとしました。 

1965年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で歴史に名を残す展覧会『The Responsive Eye(感応する眼)』が開催され、キネティック・アートはついに隆盛期を迎えます。その前年、展覧会の開催を伝える記事の中で、ある米国人ジャーナリストが「オプ・アート」と呼んだことから、以後その名が定着しました。

長らく美術館やコレクターから敬遠されてきたキネティック・アートですが、近年になって再び注目を集めています。理由のひとつは、若手アーティストたちが「動く」アートに改めて取り組み始めたことです。2013年には、大々的な回顧展がパリにある国立グラン・パレ美術館で開かれました。