マイアミ

29.12.2015
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多様な人種・文化が共存するマイアミ。それは、大都市の未来図なのかもしれません。ロサンゼルスが現代アメリカにおける混合文化の象徴だとすれば、マイアミはすでに、その先にある国籍や民族の枠を越えた革新的なポストモダン文化を映しています。 

1565年、スペインの軍人、ペドロ・メネンデス・デ・アヴィレスは、船の難破により行方不明となった息子の捜索をきっかけにフロリダ半島に上陸、ヨーロッパ人によるアメリカ合衆国本土で最初の植民地を築きました。マイアミが都市として公式に認定されたのは1896年。周期的にサイクロンに見舞われる辺境の湿地帯が、めまぐるしく変わる世界情勢の中で発展を続け、三百年の後に都市開発の成功例となったことは実に逆説的。ですが、決して偶然の産物ではありません。正反対の性質を持った街、マイアミ。その変幻自在ぶりの秘密は、人種や出身地別に形成されたコミュニティーが共存し、地域一体となって自らの力で改革を進めてきたことにあります。

かつては治安の悪さで知られ、多くの映画や、かの有名なカルトシリーズの舞台にもなったマイアミは今、現代アートの重要な拠点となっています。経済状況の好転により、世界的に影響力のある都市として、マイアミの地位は高まりました。とはいえ、その発展は経済成長だけによるものではありません。もちろん、富裕層の存在がアート市場を支えていることは確かですが、アートシーンの活況はギャラリー、さらにはアーティストやコレクター、美術館をも惹き付けており、現在ではアートフェア「アート・バーゼル」も毎年開催されています。その理由は?おそらく、温暖な気候、目にも鮮やかな街並み、豊かな自然を背景に、アートへの衝動となる反骨・反体制精神をキューバ人やハイチ人をはじめとする難民や移民たちが共有しているからでしょうか。

亡命、民族離散、異質性、社会階層や生活環境が著しく違う中での共生…あらゆる要素が血管のように無限につながり、多文化主義の土壌となって「モチーフの組み合わせ、転換、改変、脱文脈化、異文化への適合、干渉、重複、飽和、シンクレティズム、マンネリズム、装飾、不安定な交信、混乱、伝染、交換、転調など」(美術史家、エマニュエル・シェレル)を生み出しました。マイアミはまるで複雑に入り混じるアート界の地震計、あるいは創造性を受信するためのアンテナ。証券取引所で刻々と変動する株価のように、この惑星の振動とささやきに反応しているのです。 

過剰なまでの折衷主義、秩序のないモザイクは、統一されたスタイルを構築することなく、あらゆる人びとの創造力を率いて、ひたすら前へと突き進んでいるかのようです。それが、ライフスタイルからアートの分野にいたるまで、未来のネオンライト瞬くマイアミの類まれな魅力となっています。

 

diptyqueは、マイアミ第一号店をバルハーバー地区にオープン予定です。