ポマンダー

14.09.2018
Bronzino (Agnolo di Cosimo di Mariano, 1503-1572) - Lucrezia de Medici (portrait présumé, 1560)

Bronzino (Agnolo di Cosimo di Mariano, 1503-1572) - Lucrezia de Medici (portrait présumé, 1560)

多義性をはらんだポマンダー。複数の呼び名を持つだけでなく、それは1000年もの間に、その中身同様、貴重な容器をも指し示すようになりました。その中身とは、呪術的・慣習的なものに始まり、ついには娯楽的なものまで。しかし一貫して、強い香りを放ち続けてきました。

ポマンダーはポム・ダンブル(“琥珀色の林檎”)、ポマンドル、ポム・ド・サントゥール(“香りの林檎”)などとも呼ばれ、もともとは龍涎香(アンバー・グリス、稀少で価値の高い、極めて強い香りのマッコウクジラの排泄物)のかけらを、精巧な細工・彫刻を施した貴金属製の小さな球形の容器にはめ込んだもの。この龍涎香は、その他成分とペースト状に練り合わされていた可能性もあります。その大きさにより、ネックレスやブレスレット、ベルトのアクセサリーとして使用されていたこのペンダント式ジュエリーは、装飾品というよりお守りとしての意味合いの強いものでした。

魔除け(厄払い)、催淫等のあらゆる重要事項に、絶大な効果を持つとされていた龍涎香。龍涎香のほか、このポマンダーには、シベット(霊猫香、ジャコウネコの分泌物)やムスク等、芳香性且つ強壮・保護・魔除けの力のある動物の排泄物の香りが使用されていました。

価値が高く高価なこのジュエリーは、格好の贈り物でした。特に十字軍に参加する兵士が、十字架のみでは完全に排除しがたい、大きな危険にさらされていた時代です。当然、この財宝の所有者は、王、王子、騎士、高位聖職者、富裕な高官、つまり、職業柄、庶民を守る立場にあった人々のみ。繊細な留め金つきの、この透かし彫り入り“携帯用宝石箱”は、ルネサンス時代に洗練を極め、宝石も数多くはめ込まれたため、中に託された物質をよそに、ポマンダーと名乗るようになりました。ポマンダーの中には、クローブやナツメグ、ミルラ(没薬)、その他様々な香り成分を別々に閉じ込めるべく、複数の“房”を持つものも。また、髑髏、果物、花、動物等、さまざまな具象的な形を持つものも多くありました。数百年の間にそれはお守りから淫らなものへと変化し、ついには蔑まれ、18世紀に廃れていきました。

とはいえ龍涎香やムスク、シベットの陰で、ルネッサンス期以降、もうひとつの今日に続くポマンダーが芽生えていたのです。それは、オレンジを代表とする柑橘類のポマンダー。柑橘類にクローブを刺し、各種の香辛料で香りづけしたものです。15~16世紀の大航海時代における壮大な海の冒険は、主に香辛料の産地であったインドの島々への航路探索を目的としていました。当時、それらの香辛料は粒で売られ、ヨーロッパで手に入れるにはアラブ、次いで“最も高貴な国”ベネチア共和国の商人を経由しなければなりませんでした。クローブもナツメグも柑橘も、特別な際の高価な嗜好品。植物性でエキゾチックなこのポマンダーはしたがって、貧しい人々のものではなく、新しい時代にやはり稀少性を楽しむためのものだったのです。それは悪臭の漂う室内を香りで満たしました。この時代、香水はまず、嫌な匂いを隠すためのものでした。

エチケットとしてのポマンダーは、今日、楽しむためのポマンダーへ。60年代、diptyqueのブティックでは、乾燥させたオレンジにインドネシア産クローブを散りばめた、Culpeper(カルペパー)社のポマンダーを扱っていました。当時パリで扱っていたのはここだけ。1968年に登場したdiptyque初の香水『ロー』は、シナモン、ローズ、クローブ、ゼラニウム、サンダルウッドをブレンドした、16世紀イギリスのポマンダーのレシピをオードトワレに落とし込むというアイデアから生まれています。今日、コフレにて提供されるポマンダーはこのように、古い歴史の湧水なのです。