ベルナール・エルマン‐『パリkm 00 – 室内旅行』

31.08.2018
Le photographe et grand voyageur Bernard Hermann dans son appartement parisien

Le photographe et grand voyageur Bernard Hermann dans son appartement parisien

パリへオマージュを捧げるとき、写真家ベルナール・エルマンのアパルトマンからの旅は欠かせないでしょう。記者であり偉大な旅行者であった彼ですが、ある日、セーヌ河畔のノートル・ダム寺院に面した自らのアパルトマンから撮った写真のみで作品集を作ることを思いつきます。

報道カメラマンというかつての職業柄、ベルナール・エルマンは壮大に‘闘って’きました。レーシングヨットで数か月海を漂い、8か月間単独でアマゾン川を7000km下り、モンゴルやポリネシア等の辺境に移り住み、また、旅した国々や街をテーマに、膨大な量の写真集を残しています。また、作家シルヴァン・テッソンと私的にバイカル湖を旅したことも。秘境への旅を数々の作品に綴った大旅行家のテッソンは、ベルナール・エルマンの著書数冊に序文を寄せています。その一つが、本コラムで取り上げる『パリkm 00 – 室内旅行』です。

旅は移動ではなく、注意にあります。習慣や反復の裏をかき瞬間を知覚するのは、注意なのです。風景、空気、言語、習慣、音など全てが驚きや注意の対象となる新しい物事、自宅から離れた場所において、瞬間の発見はより容易になります。注意のみが日常を脱するからです。ベルナール・エルマンは何もしないことを書く強さを持ち、ある賢人の言葉として「まず何もするな、そして休め」なる‘無為の勧め’を書き添えながら、研ぎ澄まされた自らの注意を、見ること、聞くこと、穏やかな知覚における全瞬間の受容に捧げることに目覚め、この全て逆を行ったのです。それを悟った者に、世界を旅する必要はなくなりました。ノートル・ダムに面した3つの窓、1つの小窓を有す、サン・ジャック通りの角、セーヌ左岸のアパルトマン最上階の自室。その‘観測地点’から彼は鋭敏に、時に無精に、観察・監視し、この無限の光景を楽しんだのです。

シルヴァン・テッソンが「インド帰りで仏教徒に転向したかのような王室官吏の喫煙所」と喩えた自室で、10年もの間、エルマンは自ら目にしたものを写真に撮り続けました。壁掛けのマスクに命を吹き込む陽の光、サン・ルイ島を覆う霧、セーヌ川の恋人たち、鳥、行き交う人々、戯れる子供たち、わずかに腰の曲がった老女。未知なるこれらすべての生、ほぼ瞬間にすぎないもののレンズの射程距離に入れば石でできた永遠・ノートル・ダム寺院に見下ろされるこれらの生。陽光は時に版画を思わせ、橋やシルエットをくっきりと描き出すセーヌは、銀色に輝く灼熱のイルミネーションのようです。

このkm 00(パリの起点標はノートル・ダム前のこの地点)という極めて都合の良い場所に建つアパルトマンからの眺めこそが全世界であり、至る所で営まれるすべての生なのです。

そして写真家は、不敵な笑みを浮かべつつ、すべてのネガに悪戯めいたコメントを残し、私たちが再認識しているにすぎない、知ったつもりになっている物事の裏に隠された‘初めて’への驚きを決して失うことなく、すべての生を一つ残らず掬い上げます。

シルバー・プリント、モノクロ、自然なままに。すべての写真は、撮影者の精神を写し取っています。見ることが好きで、見える物が好きで、自問することを面白がり、写真家にとって美とは高速で飛ぶ鳥のようなものだと知っていたエルマン。緩やかに、怠惰に、猫が獲物を捕らえるような敏捷さで瞬間を捉えます。

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