ヘスペリデス

10.07.2018
Gustave Moreau (1826-1898) - Hercule au jardin des Hespérides

Gustave Moreau (1826-1898) - Hercule au jardin des Hespérides

ヘスペリデスとは、ギリシャ神話に登場するニンフのこと。「黄昏の娘たち」とも呼ばれ、美しく、思慮深く、その声は耳に快く魅惑的…。ニンフは、自らの姿を別のものに変えることで、人目を逃れています。いったい、何人いるのか。父親は誰なのか。そして、彼女たちが暮らす「ヘスペリデスの園」とは、どんなところなのでしょうか。

世界の始まりは、原初の混沌、カオスです。このかたちをもたないものから、夜の女神であるニュクスが生まれました。ニュクスは、自身の兄であるエレボスと婚姻を結ぶ前に、モロス(定業)、タナトス(死)、ヒュプノス(眠り)、ゲーラス(老い)、エリス(争い)、ケール(死の命運)、モイライ(運命の三女神)といった不死の神々、そしてヘリペリデスたちをもうけました。

太陽が沈み夜の帳が下りる、ギリシャから見て西方にあるヘスペリアに住んでいたことから、この姉妹はヘスペリデスと呼ばれるようになりました。ヘスペリアが位置するのは世界の果てといわれますが、その正確な場所は物語ごとに異なり、海運の発展に伴い変化していきます。イタリアの片隅、リビアのスルト、スペイン、あるいはモーリタニアのどこか…。世界の西の果てでは、雪に覆われた峰々が空にそびえ、大地は海に向かって伸びていました。アトラスと呼ばれるこの山脈は、アトランティックオーシャン(太平洋)の名の由来になっています。神話によれば、ティタンという巨神族の一人だったアトラスは、ゼウスあるいはペルセウスから罰を受け、天空を背負うことになったといわれています。そこでアトラスは、日没時に行われる「ヴェスペレ(晩課)」という言葉や、宵を表す形容詞「vespéral」の語源となった、ヘスぺロスという名の弟と暮らしていました。

そんな仄暗い場所にある庭園で、黄金の林檎はきらきらと光を放っていました。この果実は、不思議な力が宿ることから神聖なものとされ、後には番人が置かれることになりました。ニンフたち、すなわちヘスペリデスが、最初の番人となります。ところが驚いたことに、ニンフたちは林檎をいくつかこっそり盗んでしまいます。そのため、ゼウスの妻、天界そしてオリュンポスの女王であるヘラが、それぞれ異なる言語を話す百の頭をもつ、眠ることのない竜ラドンを遣わして番をさせ、まずはそこに住むものがリンゴを盗まないようにしました。

実のところ、この姉妹全員が原初の女神ニュクスから生まれたというわけではないかもしれません。一説によると、ほかの神々も関わっているらしいのです。それは誰か。山の麓にあるこの庭園の持ち主、アトラスです。神話学者のなかには、ゼウスあるいはポルキュースが父親であると信じるものもいます。では、ヘスペリデスは何人いたのでしょう。よく言われるのが、アイグレ、エリュテイア、へスぺリスの3人。アイグレ、アレトゥーサ、ヘスペラレトゥーサとされることもあります。4人、7人、11人という声も。いずれにせよ、議論が尽きません。

ひとつ確かなのは、12の功業のうちの11番目として、ラドンを倒し、アトラスを巧みに欺き、黄金の林檎を手に入れたのは、ヘラクレスであるということです。林檎を失った悲しみはあまりにも大きく、ヘスペリデスはその心の痛みから木に姿を変え、永遠にそのままだったといわれています。その後、別々の都市で、さまざまな詩人が、それぞれにこうした物語を語り継いでいます。

ヘスペリデスにはさまざまな呼び名があり、黄昏時の鳥のように歌うことから、歌姫、「Ephimeron aeidousas」とも呼ばれます。アトランティデス、ヒュアデスあるいはプレイアデスといったアトラスの娘たちになぞらえたり、混同されたりすることも…。黄金の林檎についてはどうかというと、林檎ではなくオレンジだったなど、こちらも諸説あります。マルメロだった可能性のほうが高いともいわれていますが、定かではありません。もしかすると、「Mêla(メーラ)」と呼ばれる羊だったのかもしれないのです。「Mêla」はギリシャ語で林檎を意味し、金色の毛をもっています。結局のところ、何が正しいのかは、誰にもわからないのです。