プルースト氏の偶然

12.10.2018
Marcel Proust (1871-1922)

Marcel Proust (1871-1922)

マルセル・プルーストは、生前に出版されることのなかった著作『サント・ブーヴに反論する』の序文草案において、自身の芸術の素材である感覚的な記憶を唯一蘇らせる偶然を頼りに、それらの記憶を変質させ、‘偽造’する知性に反論しています。

 

ある日、作家が寒さに凍えながら帰宅すると、古くからの料理番が彼に紅茶を淹れてくれます。「そのあとは、二度焼きしたパンを何枚か、彼女が持ってくるという成行きになった。私は紅茶にそのパンを浸した。そして口の中に入れ、紅茶の味が滲みてパンが柔らかくなってゆくのを口蓋に感じたとたん、急に心が波立ち、ジェラニウムの、オレンジの花の香りがして、何か尋常でない光が射し、幸福感を覚えた。私は身を固くした。少しでも動くと、正体が分からないまま、私のなかで起こりつつあることを中断してしまうのではないかと恐れたのだ。そして、それほどの驚異を産み出す元となったとおぼしい浸したパンの味覚に、じっと注意を凝らした。すると突然、私の記憶の、すでにしてぐらついていた障壁が取り払われ、例の田舎家で幾度も過ごした夏の日々が、そのときどきの朝とともに意識のなかに闖入して来、同時に、幸せだった時間の縦列の感覚行進が、総攻撃が開始されたのである。そこで私ははっきりと思い出した。毎朝私は、身なりをととのえてから、祖父の部屋へ下りていった。祖父はいつも目覚めのあとの紅茶を飲んでいて、ビスコットを一枚その紅茶に浸しては、食べるように差し出してくれたのだ。あの夏の日々が過ぎ去ったとき、紅茶に溶けたビスコットの感覚は、死んだ時間が―知性にとっては死んだ時間が―身をひそめる隠れ家のひとつになった。そして冬の一夜、雪に凍えて帰宅した私に、料理人が、私には知るすべもない魔法の契約のおかげで蘇生につながったあの飲み物を、もし差し出してくれなかったとしたら、私はおそらく、二度とあれらの時間を見出せずに終ったことだろう。」[1]

 

言葉における過去の蘇生に、自身の現在のすべてを捧げたこの最も偉大な芸術家の一人は、この例を自らの‘魔法の格言’の裏付けに利用しています。「逝去者の魂は、死ぬとすぐ、なんらかの事物に身を宿し、姿を隠してしまうというが、私たちの生の一刻一刻も本当は同じことなのだ。私たちが問題の事物に出会わないかぎり、その中に囚われつづけ、永久に囚われの場から出られない。」[2] 偶然のみが私たちの意識にこの出会いをもたらし、事物に閉じ込められていた自らの感覚の記憶、すなわち当時の魂を解き放つのです。そしてその目覚めはさらに、類似するすべての時間を横溢させます。

マルセル・プルーストはこれらの時間を、「アエネアスが地獄で出会った」「私に無力な両腕を差し出す」[3] 過去の亡霊に喩えています。ある事物に禁じられ、そこを隠れ家とする記憶の解放を彼が命じられても、記憶に拒まれ、過去が再び永遠の眠りに就いてしまうこともあるのです。

作家の知性は、この過ぎ去った時間を蘇生することは出来ず、そうした時間が知性の中に身を隠すことはありません。それらの隠れ家は内省的な意識の埒外にあるのです。「深いところで私たち自身の本質をなしているこうした過去と比べれば、知性の真実などには、まるで現実味が感じられない。」[4]作家は自身の創作に必要である知性を微塵も拒みはしないものの、知性が、自ら繋ぎ合わせ描き出す「心情の宝石」[5]に従属することを強調しています。

 

自身にとって死んだはずの生が、再び偶然により蘇ることを望んだ『失われた時を求めて』の作者はしかし、細かな記憶に執着する‘書記官’ではありません。重要なのは、あくまで感覚、情動、心情でした。それらが過去の真実であり、あらゆる出来事はそのために利用されます。作家は、ビスコットの記憶を蘇らせた二度焼きしたパンを、シナノキの茶に浸たしたマドレーヌ[6]に変身させるといった自由さを持ち続けました。

[1] 『サント・ブーヴに反論する』(マルセル・プルースト全集14)、出口裕弘・吉川一義訳、筑摩書房、1986年、p.256.

[2] 同書、p.255.

[3] 同書、p.259.

[4] 同書、p.260.

[5] 同書、p.261.

[6] プルーストは、『失われた時を求めて』において、紅茶に浸したマドレーヌの味覚により、幼少時の記憶を取り戻しています。