パチュリに敬意を表して

13.03.2018
Feuille de patchouli

Feuille de patchouli

パチュリの産地は遥か遠くの地、インドネシアとマレーシアが中心ですが、別の意味でも長い道のりをたどってきました。香水メーカーからの要望に応えるためにさらなる技巧が凝らされ、モラルの低いパリのクルチザンヌ(高級娼婦)やヒッピー文化に由来する社会的偏見から、ようやく解放されたのです。

パチュリの強い香りは、香りのパレットの広範囲にわたり、それはめまいを起こすほどのレベルにまで達します。クラシカルで深みのあるノートは、ウッド、カンファー(樟脳)、土、苔、湿った草木、煙…そのほかにも白カビや発酵したリンゴ、コルクなどの暗いアクセントにまで広がりを見せます。香りの振り幅があまりにも大きいため、化学合成ではその奥深い複雑さを完全に再現することはできません。香水製造に使われるパチュリのほとんどはインドネシアで育てられており、現地の職人たちによって蒸留され、このような香りが生まれるのです。

あらゆるフレグランスにその痕跡を残す強烈な香気は、パチュリの美点であるにもかかわらず、ずっと不名誉なレッテルを貼られてきました。

こうした理由のひとつには、しばしば”怪しげな”匂いをごまかすために使われていたことが挙げられます。19世紀には、貴族たちが不貞行為に及ぶアルコーブ(小部屋)の匂い消しに用いられているとして非難されました。その1世紀後には、ヒッピーたちが大麻の匂いを隠すために利用しているのではないかと疑われたのです。ひどい言いがかりではないしょうか?

一方で、パチュリは第二帝政時代のパリで大変な人気を博しました。インドから輸入されたカシミアのショールに防虫剤として挟まれていたパチュリの葉が、シルクの扇とともに露店に並べられ、評判になったのです。その芳香が人気の理由でしたが、色っぽい女性に好まれたことで、さらに悪評が立ってしまいました。

それから1世紀が経ち、パチュリの香りはヒッピー文化の象徴としてヨーロッパに戻ってきました。生き生きとした色使い、多神教、幻覚や瞑想といったインド的な要素を感じさせるからでしょう。

パチュリがおとしめられたもうひとつの理由は、その自然のままの香りが、安物の香水によく取り入れられていたからです。西洋では、パチュリは性行為を連想させるだけでなく、質の悪いパフュームとも結びついていました。こうしてパチュリは不遇の時代を過ごすことになります。

新たな名香や革新的なパフュームの登場により、パチュリはその地位を回復してきました。パチュリはベースノートとして、ほかの成分の香りを調和させる役割を果たします。シプレーやウッディ、オリエンタルといった香調において、その存在を感じることはほとんどありませんが、それがもたらす調和こそが、香水製造においてこの植物が再評価された要因といえます。飽和状態にあるエッセンスを再蒸留する際、分留を丁寧に行うことで、パチュリの香りはさらに洗練され、より繊細な働きをするのです。

ブランドの50周年を記念して創られたパフューム『Tempo(テンポ)』の中心を担っているのも、このパチュリ(同時に発表されたもうひとつのパフューム『Fleur de Peau(フルール ドゥ ポー)』はムスクがミドルノートです)。3つの異なるエッセンスを組み合わせ、ひとつの香りへと昇華させました。インドネシア産のパチュリは、ジボダン社のプログラム「Origination」の傘下で栽培されています。このプログラムは、倫理的かつ持続可能なパートナーシップによって、自然原料のサプライチェーンを構築し、最高の品質を確保しようとするものです。パチュリの生産は小規模で、現在も職人たちの手により行われています。香りのスペクトルを使って分割測定しているためコストが増え、その希少性はさらに高まっています。

科学によってその評価が再び高まるまで、パチュリはヨーロッパでは不名誉な称号を与えられてきましたが、アジアではインドから中国にかけて、つねに尊重されてきました。お香には不向きとされますが、医療の世界、とくにアユールベーダでは薬として重宝されています。また、恋愛と関連づけられるまでは、マレーシアではパチュリをアルコールに浸けたものが婚礼の夜に供されていました。

本来、パチュリの香りは驚くほど繊細で、深淵かつ寛容です。嗅覚を刺激し、それゆえに悩ましく、深く浸透するのです。今では、私たちはこの強烈な香りからアンビバレントな魅力を引き出し、最大限、香水作りに生かす術を知っています。すべてを調和へと導く、そのシナジー(相乗効果)を称えながら。