ヌーヴェルヴァーグの誕生

27.03.2018
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フランソワ・トリュフォーが「近い将来、映画は小説よりももっと私的、告白や日記と同じくらい個人的、自伝的なものになるだろうと思う」と書いたのは1957年。これまでにない映画を撮りたいと願う若き批評家たちの希望と野心が、この言葉に集約されていました。

彼らは安易な挑発や作家の言葉で飾り立てた流行りの映画を拒絶し、ルノワール、ブレッソン、コクトー、ロッセリーニといった、これに対抗する新たな旗手たちを支持しました。そして何より、アメリカ映画を敬愛していました。シネマテーク(フィルム・アーカイヴ)でオーソン・ウェルズやヒッチコック、ホークスらによる映画を見出し、アンドレ・バザンの庇護のもと映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』で批評や分析を行い、「作家主義」を提唱します。この理論は彼らを勢いづかせました。「映画において、作家とは監督である」。監督の作風は個人の世界観を表現するものであり、それはあらゆる作品に署名のように刻まれています。こうした巨匠たちの映像を通じて、彼らもまた、作家となります。

1958年から62年にかけて、まるで砂浜に打ち寄せる波のように、次々に映画が公開されました。シャブロルの『美しきセルジュ』『いとこ同志』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』『ピアニストを撃て』、ゴダールの『勝手にしやがれ』、レネの『二十四時間の情事』、ジャック・ドゥミの『ローラ』など、多様な世界観が描かれます。これらの作品は閃光のようにまぶしく、フランス映画は新たな時代へ突入したのです。スクリーンの中では、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャンヌ・モロー、ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナといった新世代の俳優たちが、その独特の声や空気感によって輝いていました。カフェのテーブルや路上でのやりとりを盗み聞きしているかのような会話は、そのままの雰囲気を保つために、撮影中に書かれたり、即興で演じられることもありました。また、これらの映画において重要な役割を果たしたのが、新型の軽量カメラや同時録音です。これにより映画製作者たちは撮影機材や予算を減らしながら、特殊効果なしの照明で、あるがままの風景を映し、あらゆるショットに現実感をもたらすことができました。

フランス国立映画センター(CNC)を動かし、ヌーヴェルヴァーグのきっかけとなったのは、週刊誌『L’Express(レクスプレス)』が若者たちに捧げた表紙でした。しかしながら、この映画運動の誕生は、あるショットに集約されています。それは、海辺を走るのをやめ、カメラに向かって立ち尽くすジャン=ピエール・レオのまなざし。この『大人は判ってくれない』のラストシーンによって、観客は心を打たれ、映画はもう一度発明されるのです。