オレンジの歴史

20.08.2018
Francisco de Zurbarán (1598–1664) - Plat avec citrons, panier avec oranges et tasse avec rose (~1633), Norton Simon Foundation, Los Angeles

Francisco de Zurbarán (1598–1664) - Plat avec citrons, panier avec oranges et tasse avec rose (~1633), Norton Simon Foundation, Los Angeles

これは小さな‘オレンジ伝’です。自らの名を色名に捧げたこの歓喜の果実、陽を浴びてキラキラと輝き、皮を剥くと果汁が弾け、果肉を含めば、口一杯に広がるその風味…その昔、稀少で高価であったオレンジは、世界の果実となりました。

原始の柑橘類は、2千万年もの昔、後のマレー半島、当時はアジア・オーストラリアと陸続きであった土地で誕生しました。

中国は2000年以上前にオレンジを栽培しており、同様にインドでは、ヴェーダ時代以降の、後にアーユルヴェーダとなる医学書に記載されているとのこと。アジアでは元々薬草だったのです。

おそらく中国のシルク・ロード経由で、シリア・トルコを皮切りに、ダイダイ(ビターオレンジ)の実が成るダイダイの木がアラブ諸国に伝来、栽培されました。そしてイスラム教徒のイベリア半島侵略、数世紀後の東方における十字軍の遠征によりこの木がシチリアおよび地中海盆地にもたらされ、そこに定着、繁栄します。オレンジの果実は欧州で評判となるも、高級さゆえ、手に出来たのは支配層のみ。苦味があり、フランスでは《pume d’orenge》『オレンジ林檎』と呼ばれ、主にマーマレードに加工されたり、花の部分は香水作りに利用されたりしていました。

ポルトガルの航海者がセイロン(現スリランカ)からスイートオレンジ(citrus sinensis)を持ち帰ったのは15世紀のことです。欧州中の城内のオレンジ園(orangerie)で、栽培が大流行。それは貴族たちにとって、珍しいフルーツだったのです。近代になると、特別で稀少な品でありつつも、長い時間をかけゆっくりと小市民(ブルジョワ)化していきます。第二次大戦までは、貧しい人々にとってのクリスマスフルーツで、子供たちはウィンドウ越しに、オレンジの陳列台を眺め、胸を躍らせたものでした。それこそが、まさにプレゼントだったのです。オレンジは、クリスマスの奇跡と結びついた、一つの祝祭でした。

現在の世界におけるオレンジの生産量はおよそ8千万トン、8千億個近くにのぼります。

サンスクリット語から古代ペルシア語となったnarangaがビザンティン帝国ではnerantzionとなり、次いで古代ローマではarangium、arantium、aurantiumと変化、スペイン語でnaranja、ポルトガル語でlaranha、イタリア語でarancia、プロヴァンス地方でaràngi 、フランス語でorangeと呼ばれるようになり、このorangeは、一大取引地であった街の名にもなりました。しかしアラブの人々は、オレンジを久しく、彼らにこの果実を伝えてくれた‘恩人’の国にちなみ、bortugalと呼んでいたのです。ちなみにオレンジが色名となったのは、16世紀のことでした。

そのままでも、伝統医学でも、料理でも香水の原料としても極めて評価が高く味も素晴らしい柑橘類の長。オレンジはこうした支配的地位を勝ち取り、その地位は当分脅かされることはないでしょう。