イヴと劇場

30.10.2015
DSC04439

デスモンド・ノックス=リット、クリスチャンヌ・ゴトロと共にdiptyqueという冒険に旅立つまでの12年間、イヴ・クエロンはヨーロッパ中の劇場を回りながら、刺激的なアーティストたちに囲まれ、ドラマティックな人生を送っていました。

エコール・ド・ルーブルを卒業した後、銀行の出納係の職を得たイヴは、そこで顧客を通じて人気室内装飾家のポール・フレッシュと出会い、間もなく彼のアシスタントとなります。舞台美術からミシェル・モルガンやエドウィジュ・フィエール、ジャン・コクトーといった有名人の室内装飾まで、イヴ・クエロンはまったく未知の世界で働くことになったのです。演劇界はひとつの家族のようで、まだ若かったイヴは温かく迎えられ、自らの多彩な才能や資質を表舞台でも裏舞台でも存分に発揮できると感じていました。

イヴ・クエロンは当初、装飾家、舞台デザイナー、ツアーマネージャー、広報担当、ステージマネージャー、プロンプター(黒子)といった仕事をこなす傍ら、名前を変え俳優として度々舞台にも出ていました。あるときはイヴ・マルタン、またあるときはイヴ・セルジャン。ファーストネームはいつもイヴでしたが、イヴ・クエロンの名で登場したことは一度もありませんでした。舞台の上では当時の大スター、ミシェル・シモンの相手役として共演したこともありますが、舞台裏では彼の肖像画を描いていました。

彼の主な業務は劇場のマネージメントで、大物舞台女優のエルヴィール・ポペスコや、時代を代表する名女優、エドウィジュ・フィエールとも一緒に仕事をしました。他にもモスクワ・サーカスや北京サーカス、国立劇団コメディ・フランセーズのツアーマネジメントも数多く手がけ、作家ジャン・ジオノ、歌手のモーリス・シュヴァリエ、伝説的ファド歌手アマリア・ロドリゲスといった大物アーティストたちとも交流がありました。

1961年、親しい仲間たちと共にdiptyqueの創業を決めたとき、その経歴から当然のように、彼が組織のまとめ役、並びにプロモーターとしての役割を担うことになります。クリスチャンヌとデスモンドがファブリックのデザインに専念する一方、イヴはこの新たな小劇場の舞台裏で「夢を売る店」diptyqueの運営に徹しました。それまでの経験から、冒険はつねに忍耐を伴うということを胸に刻んでいたのです。