ガストン・バシュラール:ろうそくと砂時計

23.06.2017
Détail d'une photographie de Gaston Bachelard reproduite p. 128 du livre de Pierre Quillet intitulé Bachelard, Seghers, 1964.

Détail d'une photographie de Gaston Bachelard reproduite p. 128 du livre de Pierre Quillet intitulé Bachelard, Seghers, 1964.

あたりまえに使っている「時間」という言葉。とらえどころがなく、夢で見た光景のように過ぎ去っていきます。前につく定冠詞は、それが単一そして一体であることを示しています。しかし、それはただのイメージに過ぎないのかもしれません。バシュラールの時間の多様性に関する思索が、さらなる理解と体験へと私たちを誘います。

フランス人哲学者ガストン・バシュラール(1884-1962)は、科学認識論の基礎を築いた一人です。彼の思想は幅広く、また活発でした。科学、詩学、形而上学、深層心理、原始的なイメージの重要性と、彼は多彩な分野に時間を費やし、省察的思考 – さまざまな物事の見方や構想に対して、特定の理論体系のみに頼らず、それぞれ個別の方法で探求すること – を精力的に提唱しました。彼の研究に通底しているものは、「時間」、より正確には「時間たち」に関する考察でした。バシュラールは、複合的で学問的な一連の著書を、曖昧な力学に焦れる作家の言葉で展開したのです。

時間に関するバシュラールの研究論文には、哲学を知る者からは論議を呼ぶタイトルがつけられています。『瞬間の直観』は、哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)が唱える「持続の直観」に相反する返答でした。ベルクソンは時間を持続の流れであるとしていましたが、バシュラールは「時間とは、ただひとつの現実、今この瞬間のことである」と書きました。彼の言う瞬間の本質とは、その多様性と非連続性にあります。

ここで言う時間の非連続性は、アルバート・アインシュタインの相対性理論や量子力学によって科学の光が当てられた結果、その影から現れたものです。「私たちは、アインシュタインの客観的な持続に関する批評によって、独断的な夢から目覚めた」(『瞬間の直観』)。「相対性は私たちに時間の多元論を示した」(『持続の弁証法』)。時空間にまつわる多元論は、純粋持続という概念をくつがえしましたが、時間の単一性の潜在的な可能性を否定するものではありませんでした。量子論においては、「時間の流れは分節化されている。そして軌道の連続性は、素粒子物理学によって完全に破綻した。現実は、私たちの観念的な指標の周囲で揺れている。時間は、量子をほとんど使わずにきらめいているのだ」(同上)。

時間は伸縮するエネルギーのかたまりとなって噴き出しています。そして、その非連続性のイメージは、実際に私たちが体験している時間の中にあります。確かな現実性は、精神的、感情的、生理学的、そして何より想像的なものです。記憶は、個々の人生を構成している、かけがえのない決定的な瞬間を再現します。そうした瞬間は情動と共にあり、「心の年表は壊すことができない」のです。

認識論者や精神分析家としての知識から、バシュラールは、時間の思想の中に原始的な直観の影響が続いていることを発見します。それは、想像の産物である水の流れ、その音といったメタファーによって、思想に作用しているのです。実存そして倫理の哲学者であり、詩を友とし、「身近なものに心からの友情を与える」術を理解する人間であったバシュラールは、こうした時間性が人生を構築すると考え、まず水平的時間、それから通常の時間、垂直的時間、自己の時間を切り離しました。

最初に水平的時間、これは時計が示す時間です。社会の枠組みや習慣による時間、すべての外的統一性、社会的要因(個々の記憶は集合的記憶に基づき形成される)、現象の様相(事象を表す時間)、生命反応(心拍)などによる時間性がこれにあたります。この非連続的な時間は、本質的にはリズミカルです。「持続するためには、そのリズム、体系化された瞬間と言ってもいいが、それに信頼を置かなければならない」(『持続の弁証法』)。そして個々の生活は、リズムあるいは「習慣によって穴の空いた状態となった非連続的な瞬間」の集合によって階層化され、安定を保っています。水平的時間は、自らを鎖に繋ぎ、その中心は偏っています。この時間に頼る方法を学ぶに越したことはありません。

垂直的時間とは、上に向かって湧出する瞬間であり、増幅したエネルギーのかたまりのようです。この瞬間は、反対・補足・友愛の三方向へと向かって流れる三角の形をしています。垂直的時間における入口、その扉を開ける呪文は、詩です。詩的瞬間は、感情の交錯という垂直性を凝縮します。バシュラールの言う「後悔の微笑み(regret souriant)」。二つの言葉の間に、時間的な因果はありません。微笑みと後悔、衝突する二つの感情の揺れは、互いを損なうことなく、存在を感じ合い、共鳴し、また調和しながら、歓迎の意識を高めるのです。詩的イメージに到達した精神力動的な時間は、ろうそくの炎にはっきりと現れています。その炎は、力学的、感情的な両義性の中にも、垂直的時間を描いています。「テーブルの上のろうそくの炎は、ぼんやりと夢見るような垂直な動きである。その炎はしっかりと垂直に昇るが、同時に儚い。ひと息で炎は揺れ動く、だが再び元に戻る。上に昇ろうとする力で、その威厳を取り戻すのだ」(『蝋燭の焔』)。 

このように同時的、連続的な水平的時間と垂直的時間を、バシュラールは砂時計とろうそくというメタファーを使って引き合わせます。彼は、空想の中で、その二つを結びつけることを熱望していました。「瞑想する哲学者の部屋のイメージを再現してみよう。ひとつのテーブルの上に、ろうそくと砂時計が置かれている。共に人間の時間の中にあるものだが、いかに違っていることか!炎は上へと立ち昇る。下へと落ちる砂より軽く、炎は時間そのものであるかのように自身を形づくり、つねに何かを為している。炎と砂時計、平穏な瞑想の中で、これらは時間の軽さと重さの間にある親交を表している。私の夢の中で、彼らは、アニマとアニムスの間にある時間の親交について語り合っている。私は時間の夢を見たい。時間は経過し、飛ぶように過ぎ去る。もし私が、空想の部屋の中で、ろうそくと砂時計を結びつけることさえできたならば」(『蝋燭の焔』)。

バシュラールに関する哲学論文の著者、ジル・イエロニムスに謝意を捧げる。彼の助言、学識、引用文の選集なしに、この記事は書き得なかった。