「オブリーク・ストラテジーズ」

26.10.2018
Brian Eno (début des années soixante-dix)

Brian Eno (début des années soixante-dix)

正面からは突破できない壁に行き当たった時、抜け道を探すより、斜めから攻めてみる。これが、‘創作の女神に見放された’芸術家のための、『オブリーク・ストラテジーズ、価値ある100以上のジレンマ』の狙いとするところ。一組のこのカードが、ゲームの行方の鍵を握ります。

 

それはセットになった113枚のカード。各カードには、直球とは言えない指示が一つ記されています。予測不可能な球です。それは、窮地に立たされたアーティストに向けたもの。アーティストが制作に行き詰まり、取捨選択に悩み、お決まりの迷宮の森にふと迷い込んでしまう時、進行中のその作業を新たな角度から見つめ、メンタルシフトにより俯瞰することで、遊び心を取り戻す必要があります。

カードの投げかける予期せぬ助言により、方法の転換、心理的抑圧からの脱却、創作心理の再構築、意外性の誘発、アイデアの豊かな‘衝突’状態の生成が促されます。例えば、「反復は変化の一つの形である」「くだらない/取るに足らない方へ行きなさい」「扉を閉めて、外から聞きなさい」「最重要のコネクションを断ちなさい」「あなたの親友ならどうするか」等…。

風変わりなこれらの助言は、偶然に似ています。その意外性により、予測可能で反復的な精神の流れは断ち切られ、実証済みの方法によるこの取組みが‘遮断器’として作用します。アーティストは自ら驚き、独自の道を見つけ、不確実性に身を委ねなければなりません。そのためには、しばしば曖昧な論理から成る自らの習慣の外へ出ること、つまり、有意義に‘脱線’するべく自らの手法をゆがめ、道を外れたことを‘無意識による誤り’(lapsus)として慈しむことが必要です。つまり、偶然の流れに乗るのです。

 

『オブリーク・ストラテジーズ』は、ブライアン・イーノと、彼の友で今は亡き画家のペーター・シュミットの共同作品です。このゲームは、1975年に初版が刊行され、現在はオンラインで閲覧が可能です(http://stoney.sb.org/eno/oblique.html 英語のみ)。イーノの念頭にあったのは、ミュージシャンたち。彼らは長時間にわたりスタジオに閉じこもり、テクニックを向上させつつも、結果に対するプレッシャーから、想像力を枯渇させていたのです。シュミットは自身のアトリエで、ひとり画家に思いを馳せていました。

ある日の会話で、彼らは面白いことに、シュミットが作品制作中に抱いていた「これは本当に誤りなのだろうか」という疑問が、イーノが時折自らに言い聞かせ、オブリーク・ストラテジーズの最初のカードとなった「自分の誤りを、隠れた意図として認識しなさい」というメッセージと一致していることを発見します。

オブリーク・ストラテジーズは、ゲーム感覚と平易さを備えた、中国の占い「易経」の‘亜流’とも捉えられます。ペーター・シュミットは1972年、易経の六十四卦に着想を得た絵を描いており、ブライアン・イーノは当然、ジョン・ケージの音楽的探求に興味を持っていました。イーノは作曲においてケージの不確定のプロセスを手段として参照し、同様にコレオグラフィにおいては、マース・カニングハムを参照しています。

ブライアン・イーノがデヴィッド・ボウイとアルバム3部作でコラボレーションした際、オブリーク・ストラテジーズを使用したことは周知の事実。これらはポップミュージック史における試金石として誰もが認めるアルバムで、さまざまな前衛音楽の潮流を、その後の音楽の系譜の基礎となる新しい形にまとめ上げた作品でした。「楽器の役割を入れ替える」カードが、アルバム『ロジャー』収録曲『Boys keep swinging』において試され、ミュージシャンたちはそこで各自、専門外の楽器を演奏しています。また、デヴィッド・ボウイは、奇抜ながらその激しさ、確かさ、エモーショナルな純粋さで普遍的作品となった『Heroes(邦題:英雄夢語り)』を作る際、「英雄的なことを疑ってみる」カードを参照したのでしょうか…。

ロックバンドR.E.Mはオブリーク・ストラテジーズを使用し、歌詞の中でそれに言及しています。また、より最近では、Phoenix(フェニックス)やMGMTといったグループも。ブライアン・イーノは一枚のカードを無作為に選び、現在の行為とは明らかに何のつながりもない助言に従うことを勧めましたが、このゲームを、共鳴し合う可能性の集合体として参照することも拒みはしていないのです。

 

ブライアン・イーノはオブリーク・ストラテジーズの精神を次の言葉に集約させています。「結局、これはライフスタイルに変化した、ちょっとしたアートスクールレベルのテクニックなのです」。

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