妖精を信じますか?
27.12.2016
Frances Griffiths dix ans, photographiée avec ses amies fées par sa cousine Elsie Wright, qui en avait seize, en 1917.
写真はmementoでもたびたび取り上げてきた、なじみ深いテーマです。ですが、妖精はというと…その存在と同じくらい、目にする機会が少ないかもしれません。最近では、クリスマスの物語「diptyqueでの一夜」に登場しましたね。妖精と写真。このふたつが結びついたのが、コティングリー妖精事件です。
コティングリー妖精事件は当時、たいへん世間を騒がせました。特に1920年から22年にかけて、英国ではさまざまな論争が起き、事態は混乱を極めました。報道、専門家の見解、矛盾する鑑定結果、曖昧な証言…それらはなんと1980年代まで続きました。騒動のきっかけは些細なものだったのですが、その影響は甚大でした。1917年から20年の間に、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトがウェスト・ヨークシャーのコティングリー村で撮った写真に写る妖精とノーム(大地の精霊)は、果たして本物だったのでしょうか?
この事件に関する資料は多く、詳細はとても書ききれないほどです。ことの発端は、1917年の7月と9月に、10歳のフランシス・グリフィンと彼女の従姉妹である16歳のエルシー・ライトが、エルシーの父、アーサーのカメラで撮影した写真でした。アマチュアカメラマンだったアーサーが自身の暗室で現像してみると、そこにはフランシスを囲むようにして踊る、小さな美しい妖精たちが写っていたのです。ただの悪戯のようにも見えましたが、エルシーの母、ポリーはそれが本物だと信じて疑いませんでした。ヨークシャー地方には古くから精霊にまつわる伝承があり、子どもたちは“小さな人々”の存在を信じていました。つまり、この地域では妖精は慣れ親しまれた架空の生き物だったのです。ところが、この写真が広く知られるようになるにつれ、現実と虚構の境目がなくなってしまいます。
あのアーサー・コナン・ドイル卿が関わったことで、この話はイギリス全土に広まります。シャーロック・ホームズの生みの親であるこの世界的に有名な作家は、先入観にとらわれない論理的思考能力を駆使し、写真は本物で、ふたりの少女は嘘をついていないと結論づけたのです。妖精たちは、彼女らが純粋にその存在を信じるがゆえに、レンズの前に姿を現したのだ、と。ドイルは公正な判断を求め、講師として名高い神智学協会のエドワード・L・ガードナーに調査を依頼。報道を通じて、多くの人々を巻き込んだ論争へと発展します。3人の写真の専門家が被写体はレンズの前に実在していたと認めた一方、偽物だと見なす証拠はないが、本物であるという確証もない、という見方もありました。写真は改めて現像されました。ドイルは従姉妹たちに手紙を書き、それだけでもかなり特別なことでしたが、その後、自らふたりを訪問し、再び撮影をするよう求めました。彼女たちはそれに応じ、妖精たちをまたしてもカメラに収めることに成功したのでした。
写真に写った妖精が本物だと心から信じる人もいれば、捏造だと考える人々もいました。実際のところ、これらの写真は作り物でした。雑誌の切り抜きに羽根を足し、枝や木の葉にピンで留めた、ただの子供っぽい悪戯…だったのですが、遊び心を忘れた大真面目な大人たちの目には、そんな風には映らなかったのです。
では、なにが間違っていたのでしょう?スピリチュアリストにとって、少女たちが撮った写真は、純粋無垢な心を持つ者だけが目に見えない世界に気づくことができるという証明でした。大昔から続く妖精伝説、そして純真さは思春期を迎える頃には失われてしまうという説は、真実に違いない、と。今となっては信じがたいことですが、科学的な裏付けのない未知の世界への信仰が、都会生活からはほど遠い、田舎を跳ね回っていた妖精やゴブリン、ノームの伝説にまで拡大していたようです。
80歳になったエルシーは、写真が作り物だったことを認めましたが、フランシスは、5枚目の写真だけは違う、と語りました。最近では、「彼女たちに備わっていた霊能力によってあの写真は撮られたのだ」と言う人もいます。要するに、妖精は気まぐれで手に負えない存在なのです。この物語の教訓は何よりも、人は見たいと思っているものを見て、それに惑わされる、ということです。こうした事例において、写真は疑う余地のない平和的な解決のように思われますが、違うのです。写真が見せるものは見せかけ以外の何ものでもありません。とくに現代においては。これについては、コンセプチュアル・アーティストのジョアン・フォンクベルタが作品を通じて取り組んでいます。