ジョアン・フォンクベルタ:架空の星座
12.12.2017「…しかしそのときから僕は宇宙の味を知ったのだ
僕は酔っている 宇宙を飲みほして
川岸から流れる水と眠るボートを眺めながら
聞きたまえ 僕はパリの喉だ
そして気に入れば もっと宇宙を飲むだろう
聴いてくれ 宇宙に酔いしれた僕の歌を
9月の夜はゆっくりと終わろうとしている
橋は赤く輝きセーヌ川に沈んでいく
星は消えゆき今日がまもなく目を覚ます」
ギョーム・アポリネール『アルコール』より『葡萄月』
いつの時代にも、もっとも洗練された人々が天体観測という営みに夢中になりました。それは人類を映す鏡であり、運命を導き、宇宙の中における私たち人間の居場所とも関係しているからです。
神話あるいは象徴として、それが三賢人を導いたベツレヘムの星であれ、航海者たちが頼りにしていた星々であれ…橙色に輝く巨星アルデバランをはじめとする星たちについてひとつ確かなのは、人知を超えた大きな何かがそこで起きているということです。
医師であり、音楽家、哲学者でもあったアルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)は、理想を「手の届かない、けれどなお私たちを導く星」と定義しました。
グレコ=ローマン時代以降、とりわけピタゴラス派によって、自由七科のひとつとしてとらえられていた天文学は、中世の時代、占星術や宇宙論、手相や輪廻を包含し、たとえば輪廻はダンテの『神曲』にも描かれています。ルネサンス期になると、ルドルフ2世が所有していたような博物陳列室には、アストロラーベ(天体観測器)や当時の最新機器を備えた”cientifica(科学)”部門が必ずありました。夜空を理解すること、それは科学の進歩、そして人文主義の証明だったのです。
古代エジプトの遺跡の天井に描かれた星空から、ヴァン・ゴッホが描いた絵にいたるまで、天球を表現した作品は数多くあり、それはまるで美術史そのものです。音楽や詩でいうと、星空はレオ・ドリーブ(1)やドビュッシー(2)、アポリネール(3)を思い起こさせます。
遊び心に溢れる写真家ジョアン・フォンクベルタ(1955年、バルセロナ生まれ)は、写真集『Constellations』に添えた文章の中で、ヨーロッパでも有数の澄んだ空で知られるカナリア諸島にある天体物理学研究所に招かれ、滞在中にこれらの天体写真を撮影したと主張しました。しかし、これは写真家によるジョークでした。写真には、たとえばMIN 42: ORION (NGC 1976) AR 05 h 35, 4 mn D – 05’’27’というように、座標や示唆に富んだ見出し、科学的事実が付記されていますが、そこに映る“星座”は、なんと彼の車のフロントガラスにぶつかってつぶれた虫の死骸と汚れ…。
私たちの宇宙への夢もまた(ちょうどこれらの虫のように)その日、儚く散りました。
これらの作品は、崇高さ(星座)と惨めさ(つぶれた虫)の間に存在する皮肉な関係を示しています。フォンクベルタは大胆な方法を用いて、写真が映し出すのは、決して反論の余地がないものではないということを私たちに証明してみせたのです。
なによりも彼は、美と崇高さの関係に疑問を投げかけています。それは、美しさと真実の関係とも言い換えられるかもしれません。
[1] レオ・ドリーブ『ラクメ』より『すべての星空の下で』
[2] ドビュッシー『星の夜』
[3] ギョーム・アポリネール『アルコール』
- Joan Fontcuberta – ZETA PYXIDIS (Mags 4,9/9,1 Sep n 52,4″ AP 061°) ARH 08h 39,7 mi n. / D-29° 34’
- Joan Fontcuberta – MN 15: PEGASUS (NGC 7078). AR 21h 30,0 min / D + 12º 10′